2018年1月3日水曜日

はつゆめ

世界中の犬たちに安らぎを。。。


「初夢」とはいつの夢のことをいうのか。Wikipediaによると諸説あるらしい。
(Wikipediaにしても、出典不明の部分があるようだが)

概ね「大晦日~元日」「元日~2日」「2日~3日」の3説。
今は「元日から2日にかけて見る夢」ということが一般に受け入れられているらしいが、「2日から3日」というのも多くあるらしい。

ということで、昨日から今朝にかけてみた夢は。。。。

同じ会社に努めている人たち(3人の男性)と、飲み会に行く夢だった。
その3人とは、ほとんど面識がなかった。社内で見かけたことはあったかもしれないが、声を書けたこともない人たちだった。
当然、話は弾まない。その3人の間ではぼつぼつと話が続いていたが、その内容もよく分からない。
その上、自分はお酒も飲まないので、面白くも何ともない。
そのうち尿意をもよおしてきた。
飲み会の場所は、ひと昔前に流行った屋台村のようなところ。
すなわち、屋外のテントのようなところであった。
トイレなどはなさそうだ。
ちょっと失礼します、と断って、トイレを探しに行った。
すぐ近くに、小ぶりのビルが建っていて、ショッピングセンターのようにも見える。
この中ならトイレがありそうだ。
入り口を入ってすぐ、エレベーターがあったので乗り込んだ。
どの階へ行こうかと思って、フロアのボタンを見たら、四角いボタンが並んでいるだけで、階の表示も開閉の表示もない。
なんとおかしなエレベーターなのだろうと思ったら、扉が勝手に閉じてするすると上がっていった。
そしてある階で止まって、扉が開くと、そこは狭い階段の踊場のようなところであった。
踊場を囲むように、ドアが4枚並んでいた。
ドアには表示も何もない。
何なんだろう、ここは。
トイレはあるのか。
と思っていたら、ドアの一つが開いて、若い女の子が出てきた。
「いらっしゃい~」
すると次々と他のドアが開いて、次々と女の子が出てきた。
「いらっしゃい~」
これはまずいかもしれない、と思った。
早々に降りるしかない。
後ろずさりにエレベーターに引っ込んで、「閉」ボタンを押そうとした。
「閉」ボタンはなかった。
どうするべきか。
その時、若い男がひとり、階段を上がってきた。
途端に女の子たちは若い男を取り囲んだ。
「いらっしゃい~」「いらっしゃい~」
その声を聞きつつ、エレベーターの扉が閉じた。

というところで目が覚めた。
富士も鷹も茄子もない。

では1日から2日にかけての夢はどうだったかというと。。。。

ひとり机に向かい、パソコンで何か数字を並べ替えていた。

ということしか思い出せない。

どんな一年が約束されているのか、想像もつかない。
考えないことにしよう。

2018年1月1日月曜日

【アラバマ物語】ハーパー・リー(菊池重三郎訳・暮しの手帖社)

ようやく読み終わった。
できれば昨年中に読んでしまいたかった。
まあ、それはそれ。
ともかく、最後まで読めてよかった。

よく知られた、ハーパー・リーのピューリッツァー賞受賞作。
グレゴリー・ペック主演で映画化もされた。
映画もよかったが、映画だけではわからなかった世界が、原作本にはある。
それはあたりまえで、何といっても映画よりも原作のほうが分量もたっぷりあるのだし。

おそらく1950年代のアメリカ南部。
正義感の強い弁護士アティカスとその家族と隣人たちの物語。
そして同じ土地に住む色んな人達の。

映画を見たときは、人権を主題にして、差別の不合理さ、偏見の不条理さを描いたものだと思っていた。
たしかにそれはこの物語の一面ではある。
しかし、語り手であるスカウト(アティカスの娘)の目から見ると、どうなんだろうか。

倫理観というのはむずかしい。
ひとそれぞれ、価値観は違う。
育った環境が違うのだから、あたりまえなのだ。
そして、その土地のルールというのも、やはりあるのだなあ。

子供の頃は、正しいことをしていれば正しく生きられる、正直に生きていけば何もかもうまくいく、と思っていたけれど、成長するに連れて、それだけでは物事は収まらないということを知ってきた。
というか、ひとそれぞれで「正しさ」が違うということを知ってきたのだ。

こんなことは当然じゃないか、というのは一方だけの考え方かもしれない。
相手はそう思っていないかもしれない。
ということを考えないと、世界はおかしくなる。
自分だけが正義じゃない。じゃあ正義とは何なのだろう。

物語は終わっても、全てがすっきりとしたわけではない。
ここから先は、自分で考えよ、ということか。
年始めから、問題を突きつけられた。
はるか昔の作品から。

-----

ところで。
この作品、どうやら初版から翻訳は変わっていないらしい。
今となってはあまりにも古すぎる。
「鍾馗さまでも通さないわよ」
なんて、アメリカ人が言うわけがない(読めますか)。

出版社「暮しの手帖社」は、文芸出版は本分ではないはず。
(どういう経緯で出版することになったのだろう)
どこかの出版社が版権なり翻訳権なりを買い取って、新訳を出してくれないものだろうか。

新年

あけましておめでとうございます。
昨年は、出だしは意気込んでいたものの、早々にバテ始め。
中盤で息切れ。
ついに途中で投げ出した形になってしもおた。

今年は、という目標をここで掲げるのも恥ずかしい。

思いついたときに更新します。
まずは、年始のごあいさつまで。