2014年3月30日日曜日

フィギュアスケート

いつの間にか3月も終わり近くになってしまいました。時の経つのは早いものです。なんて、年末のような物言いですが、年度末、ということは事実なので許してもらいましょう。
フィギュアスケートも世界選手権で一段落。入れ替わりにプロ野球のペナントレースも始まって、この週末はやや慌ただしいというか、いつも以上にいろんなことに気が回りません。これも許してもらいましょう。

オリンピックチャンピオンがあまり揃わない、ということでどれくらい盛り上がるかなと思われた世界選手権ですが、いやいや、もう連日涙涙で見ておりました。
(といっても、放送は男子・女子のシングルだけ。それも後半グルームのみ。いつかペアとかダンスも含めて放送してくれるのだろうか。気になる選手の気になる演技もいっぱいあるのだけれど)

町田樹選手。惜しかったなあ。ほんのちょっとの差、ですね。しかし、去年までほぼ無名に近かった(世界で)選手がここまで来たのには感動します。人間、努力次第なのだなと。
アボットのフリーには涙涙。
ベルネルの演技には、ついつい応援してしまう(入り込んでいくわたくし)
羽生結弦選手。痛し痒しというか、嬉し恥ずかしというか。何と言ったかなあ(ボキャブラリのなさに自分ながら驚く)。ともかく、本人も納得がいったのかどうなのか。という金メダルだったのでは。ま、これで、更に次の目標もできたかも。
小塚崇彦選手。ものすごく良かった、けど点数が。。。というのはあるなあ。ただ、自分の目指すべきはどこかというのを見つけたような気もするし。まだ続けてくれそうだから、来季以降に期待しよう。大いに。

女子。浅田真央選手。どうしても回転不足を取られるのだねえ。トリプルアクセル。もう、ええんちゃうのん、と思うけど。ショートでは加点、でもフリーでは回転不足。それでも金メダルはすごいと思うけど。
鈴木選手。ほんまにここまで続けてくれてありがとう、という気持ちです。点数とか順位とかとは関係なく、感動する演技というものがあるのですね。
村上選手。どうも「雑さ」が気になるのですね。特にこれだけきれいな滑りをする人たちの中に入ってしまうと。ジャンプの前の体制とか、つなぎの滑りとかね。まだまだ。
グレイシー・ゴールドは、間違いなくこれから世界のトップを争っていくでしょうね。ひょっとしたらコストナーの跡を継げるかも、というくらい綺麗に滑れると思うのですが、どうでしょう。それも、ここ1年ぐらいでグッと伸びた、という印象があるので余計にそう思うのですが。
そのコストナー。フリーで少々ミスをしても高得点。いや、滑り出しの1回のターンだけで思わず「ひえ~~っ」と声を上げてしまいましたよ、確かに。深い深いエッジを使ったステップは、世界最高。ここまで出来る人は他にはいない。

日本の観客は素晴らしいですね。どこかの五輪とは全く違って、自国の連呼もなく、素晴らしい演技には隔たりなくスタンディング・オベーション。ジャンプに失敗しても、拍手で応援。ステップでは(難しいリズムでも)手拍子で応援。観客にも拍手したいです。

唯一、どうにもつまらないのがテレビ中継陣。特に女子の実況は(何度も言うけど)なんとかしてほしい。演技中は、いっそ無言でいてほしいくらいなのに。あと、最後の最後の、浅田真央選手へのインタビューも、どうだったのか。終わったばかりの選手に、今後はどうするのかとしつこく聞いてどうするの? 優勝の余韻も吹き飛んでしまう。インタビュアーの責任じゃなく、TV局の方針・体質なのだろうけれど。

2014年3月21日金曜日

【インスタントラーメン】おいしい召し上がり方?

「火を止めるまぎわに」とか「すばやく丼に移して」など、なかなかやっかいです。


2014年3月19日水曜日

【色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年】村上春樹(文藝春秋)

この月は前月にひき続いて、あまり読書が進んでいません。あれをちょっとこれをちょっと、といろんな本に興味が惹かれて、途中まで読んでほったらかしという本が少なくありません。ちょっとでも「読了!」というところまで行かないと。

でもね。つまらない本だったら(それが途中でも、つまらなかったら)最後まで読む必要もないのだという思いもあるのですね。つまらない本を読む時間があったら、面白い本を読みたい。こんなしょうもない話を最後まで読んでどうなるんだ、という気もするわけ。でも最後まで読まないと、本当につまらないかどうかもわからないしなあ。。。などとも思うわけです。

サマセット・モームは、「読書案内」のなかで、「つまらないところは飛ばして読めばよいのである」と書いています。しかし「サミング・アップ」では、「わたしは本を飛ばし飛ばしに読むということも、途中で読むのを終わることもできない」とも告白しています。おそらく両方の気持ちがあったのでしょうね。その気持、わかりますね。

で、村上春樹ですが。出版された時は即ベストセラー。内容よりも「村上春樹が書いた」ということだけで売れるのですね。きっと。それが悪いとは言いませんよ。ある程度の面白さ楽しさは約束されているのだろうと期待する人の気持ちはわかります。

で、実際に読んでみるとね。これが、ちょっと面白くないのですね。
いや、個人的な感想なので許してほしいのですが。文章の表現がどうも馴染めない。まるで下手な英文翻訳を読んでいるような気分になってきます。それが地の文だけでなく、会話文にも及んでいるので大変始末に悪いです。
おかげで物語全体の現実感が薄れてしまっています。

題名だけ見ると、色覚障害を持つ主人公が出てくるのかと思いますが、そうではありません。つくるくん以外の人は、なぜか名前に色が付いているのですね。赤松だとか青海だとか。で、自分だけ名前に色がない。
高校時代のボランティア仲間4人とも名前色が付いている。まあそれはそれとして。高校を卒業してつくるだけが東京の大学に行く(ほかは地元:名古屋に残る)。あるとき他の4人から突然絶縁されてしまうのですね。そしてつくるは死ぬことだけを考え始めます。

なぜ4人は突然つくるをつまはじきにしたのか。つくるはどうやって死の誘惑を乗り越えるのか、とかが物語の中心になってそうなんですけど。

ううむ。やはり文章の堅苦しさというか、難しさが面白さを阻害しているような気がしてなりません。これ、本人は意識して書いているのだろうか。言葉のありようをどれほど考えているのかなあ。
多和田葉子を読んだあとなので、余計にそんなことを考えてしまいました。

【50歳からラクになる-人生の断捨離】やましたひでこ(祥伝社)

「断捨離」という言葉がひとり歩きしている、ということを著者が嘆いている、と前に書きました。ただの整理術として捉えられているけれど、本当は生き方の指針なのだと。
なるほど。ならば、この本が出てきてもおかしくないわけですね。

有名になった「断捨離」に比べると、実際的な方法というよりも、もっと精神面を強調していますね。
しかしその割には、前作(前作ではないのだけれど)でやや強調されていた、
「断捨離すると、自立できる」とか「断捨離すると、痩せられる」とか「断捨離すると、離婚できる(^。^;)」
とかいう話は、ちょっと引っ込んでます。
それよりも、「あなた、これからどう生きますか」と聞かれているみたい。
だから、「50代こそ断捨離に踏み切れる時!」と言えるんでしょうね。

まあ、こんな本が必要ない人生もありだと思いますけどね。
ただ、ミニマリストという生き方もあるようなので、個人的には気になるところです。
そして、ちょっとだけ、無駄のない人生を生きようかな、と思い始めています。もう50も越えてだいぶ時間が経ってしまっていますが。

2014年3月11日火曜日

【ホテルローヤル】桜木紫乃(集英社)

今年も3月11日がやってきますね。テレビを始めとするメディアが、ほうぼうで取り上げるので、わたくしごときが何かを言うことではありません。

桜木紫乃の直木賞受賞作。北海道釧路のラブホテルを舞台とした物語。連作短編集といったものなのだけれど、時間軸が逆になっているのがミソ。廃墟となったラブホテルで恋人のヌード写真を撮ることで自分を取り戻そうとする男の話に始まり(いや、視点はモデルとなる恋人の方なんだけど。そしてなんだかこの男、大丈夫かと思ってしまう)、ホテルを建てることに意欲を燃やす男の話で終わる(だったと思う)。

それぞれの物語が、一貫性があるようで味わいが違うのも面白いです。ちょっと薄味かなあという気もしますけどね。

2014年3月8日土曜日

新書3題

佐村河内氏の記者会見は、ウソをついたことを前提としたものだから、そこから先の言い訳じみた話は全く信用ならないものだと思いました。キダ・タロー氏が、佐村河内氏が「詳細な設計図を書いた」ということについて、
「例えばコマーシャルの音楽などで、ネズミが出てきた:5秒、猫が出てきた:10秒という指示があるのと大差ない。その指示で音楽を作っても、作曲者は私です。自分が作曲したという監督は一人もいない」
さらに、
「「音にした」という言い方は、失礼な言い方。音楽のことを何もわかっていない」
「ペテン師と優秀な作曲家がグルになったらこうなるということ」
はっきりとした説明がわかりやすい。

時々、小説のファンタジーな世界じゃなくて、現実を捉えたくて新書を読むときはあります。
【「私はうつ」と言いたがる人たち】香山リカ(PHP新書)
【言葉と歩く日記】多和田葉子(岩波新書)
【知の逆転】吉成真由美・編(NHK出版新書)
あ、でも2冊めは小説(文学)についての話だなあ。

香山リカによると、どうやらわたくしはうつではないようです。憂鬱な気分になるのは誰しもあること。それと、だれでも鬱病にはなるということ。
うつに対する理解が広がるとともに、誤解も広がっているようです。確かにわたくしも誤解していたところがありますね。「こんな人が鬱になりやすい」とかいうことはなく、誰しもなる可能性があるということですね。そして社会がうつに理解を持ち始めて、逆にそれに甘えてしまう事例もあるのだとか。
なんにせよ、専門家でも苦慮している病気の判断と対応を、素人があれこれ判断するのはよくない、ということでしょうね。どの病気でも同じですが。

多和田葉子は、以前にも書いたように、早くノーベル文学賞をとってスッキリしてもらいたい作家です。ウェブの書評では、ただバイリンガルをいきがっている小説家という書き込みもありましたが、そうは思いませんね。日本語とドイツ語、あるいは多言語について、その表現の違いについて、そしてそこから導き出される文化の違いについて、とても深い考えと興味を持っているのだと思います。
これは日記の体裁をとったエッセイというべきものなんですけど、上に書いたようなことをテーマに書こうとすると逆に言葉に詰まってしまう、というところから、日記のようにして気がついたことだけを書いていく、というスタイルになったようです。それでも「気がついたこと」の気のつき方がとても面白いので、言葉についてのとても面白いエッセイになっていますね。繰り返し読んでみたい、と思いました。

「知の逆転」は、NHKで放送もしていました。映像を見た人には新しいものはないかもしれませんね。それに映像だと文字では伝わらないことも伝わりますし。逆に文字になると、時間軸で流れていく映像とは違って、反芻(読み直し)することができますね。どちらにも価値はあるでしょう。
本の内容から外れました。現代という時代の最先端を歩んでいる知識人に、現代社会のあり方を問う、というスタンスなのでしょうが。6人の「知の天才」に話を聞いています。
『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド、生成文法理論で言語学・哲学にパラダイムシフトを起こしたノーム・チョムスキー、映画にもなった『レナードの朝』の著者・神経学者のオリバー・サックス、人工知能の父と称されるマービン・ミンスキー、アカマイ創業者・数学者のトム・レイトン、そしてDNAの二重らせん構造を明らかにしたノーベル賞受賞者のジェームズ・ワトソン。
(すみません、めんどくさいのでアマゾンからコピーしました)
それぞれ面白い話ばっかりだったんですけど。同じテーマで話を聞いているわけではないので、たとえばトム・レイトンの話などはアカマイの業績秘話以上のものはちょっとしかないという感じになったりしています。
もちろん、こういう人たちの成し遂げたことは素晴らしいことだし、その語る言葉から何かを得ようと思えば、たくさんのものが得られると思いますけどね。

2014年3月5日水曜日

【不要家族】土屋賢二(文春文庫)

落ち込んだ時ややるせない時、不満がたまった時には土屋教授(いまは名誉教授らしい)です。不満があっても大丈夫。だからどうした。それがどうした。どうしたって変わらないよ、という諦観もあるようで、だから力を抜いていこうということ。こんな自分でいいのかなあと思った時に読むと、こんな自分でいいのだと思うし、こんな自分でも大丈夫なのだなと思うのだな。楽しいです。
まあ、ワンパターンである、とも言えますが。

2014年3月4日火曜日

【ビブリア古書堂の事件手帖5-栞子さんと繋がりの時】三上延(メディアワークス文庫)

気がつけばもう3月。月日の経つのは早いものだ。特に2月の終わり頃はオリンピックオリンピックで夜も寝られず昼もぼおっとした毎日だったので、ただでさえ短い月がいつも以上に短く感じられた。本当に、あっという間の出来事。夢の中の夢の様な時間でした。

「ビブリア古書堂」シリーズも5巻目。前巻は江戸川乱歩特集でしたが、今回はもっとマニアックになっています。とはいえ、「へえ~」と思うポイントが、マニアックというよりオタクに近くなってきているようで、いよいよネタが尽きてきたのかなと思わせるところもありますね(正直言って、手塚治虫まで出てくるとは、と思いました)。ぼちぼちラストが見えてきたのかも。それは店員(であり物語の語り手でもある)五浦と栞子さんとの関係にも表れてきていますね。詳しくは本編をどうそ。

それから。物語のサスペンス調というか、トリックというか、そういうミステリーな部分が、ややぬるくなってきているようにも思えます。これは主人公二人の行動に焦点が移ってきているのでそう感じるだけかもしれないですが。二重三重のどんでん返しのようなものがちょっとぬるくなってきているような。いや、面白いのは面白いんですけどね。それと、ここまで来たらラストまで読んでしまいたいという思いもありますし。