2014年3月8日土曜日

新書3題

佐村河内氏の記者会見は、ウソをついたことを前提としたものだから、そこから先の言い訳じみた話は全く信用ならないものだと思いました。キダ・タロー氏が、佐村河内氏が「詳細な設計図を書いた」ということについて、
「例えばコマーシャルの音楽などで、ネズミが出てきた:5秒、猫が出てきた:10秒という指示があるのと大差ない。その指示で音楽を作っても、作曲者は私です。自分が作曲したという監督は一人もいない」
さらに、
「「音にした」という言い方は、失礼な言い方。音楽のことを何もわかっていない」
「ペテン師と優秀な作曲家がグルになったらこうなるということ」
はっきりとした説明がわかりやすい。

時々、小説のファンタジーな世界じゃなくて、現実を捉えたくて新書を読むときはあります。
【「私はうつ」と言いたがる人たち】香山リカ(PHP新書)
【言葉と歩く日記】多和田葉子(岩波新書)
【知の逆転】吉成真由美・編(NHK出版新書)
あ、でも2冊めは小説(文学)についての話だなあ。

香山リカによると、どうやらわたくしはうつではないようです。憂鬱な気分になるのは誰しもあること。それと、だれでも鬱病にはなるということ。
うつに対する理解が広がるとともに、誤解も広がっているようです。確かにわたくしも誤解していたところがありますね。「こんな人が鬱になりやすい」とかいうことはなく、誰しもなる可能性があるということですね。そして社会がうつに理解を持ち始めて、逆にそれに甘えてしまう事例もあるのだとか。
なんにせよ、専門家でも苦慮している病気の判断と対応を、素人があれこれ判断するのはよくない、ということでしょうね。どの病気でも同じですが。

多和田葉子は、以前にも書いたように、早くノーベル文学賞をとってスッキリしてもらいたい作家です。ウェブの書評では、ただバイリンガルをいきがっている小説家という書き込みもありましたが、そうは思いませんね。日本語とドイツ語、あるいは多言語について、その表現の違いについて、そしてそこから導き出される文化の違いについて、とても深い考えと興味を持っているのだと思います。
これは日記の体裁をとったエッセイというべきものなんですけど、上に書いたようなことをテーマに書こうとすると逆に言葉に詰まってしまう、というところから、日記のようにして気がついたことだけを書いていく、というスタイルになったようです。それでも「気がついたこと」の気のつき方がとても面白いので、言葉についてのとても面白いエッセイになっていますね。繰り返し読んでみたい、と思いました。

「知の逆転」は、NHKで放送もしていました。映像を見た人には新しいものはないかもしれませんね。それに映像だと文字では伝わらないことも伝わりますし。逆に文字になると、時間軸で流れていく映像とは違って、反芻(読み直し)することができますね。どちらにも価値はあるでしょう。
本の内容から外れました。現代という時代の最先端を歩んでいる知識人に、現代社会のあり方を問う、というスタンスなのでしょうが。6人の「知の天才」に話を聞いています。
『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド、生成文法理論で言語学・哲学にパラダイムシフトを起こしたノーム・チョムスキー、映画にもなった『レナードの朝』の著者・神経学者のオリバー・サックス、人工知能の父と称されるマービン・ミンスキー、アカマイ創業者・数学者のトム・レイトン、そしてDNAの二重らせん構造を明らかにしたノーベル賞受賞者のジェームズ・ワトソン。
(すみません、めんどくさいのでアマゾンからコピーしました)
それぞれ面白い話ばっかりだったんですけど。同じテーマで話を聞いているわけではないので、たとえばトム・レイトンの話などはアカマイの業績秘話以上のものはちょっとしかないという感じになったりしています。
もちろん、こういう人たちの成し遂げたことは素晴らしいことだし、その語る言葉から何かを得ようと思えば、たくさんのものが得られると思いますけどね。

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