今日は夜、合唱団のテナーのメンバーがうちに来られて、演奏会に向けての秘密の(書いてしまったら秘密ではなくなるが)練習。普段の全体練習ではカバーしきれない音程の不安なところや、ハーモニーの難しいところ、ドイツ語の発音の難しいところなどをぶたこと一緒に練習したのだった。
全体練習では一つのパートを懇切丁寧に、ということは難しい。自習ができればいいけれど、ひとりでは難しい。では一緒に、ということで集まったわけ。
わたくしはバスなんだけど、テナーのパートを一緒に練習することで「あ、ここでおんなじ音になるやないか」とか「ここで音がぶつかっているのか」とか「ここでこんなリズムになるのか」とかが発見できて、次に一緒に歌うと、自分のパートとは違う色んな音やハーモニーが聞こえてくるようになる。それでなぜか、発音も発声も楽になるのである。わたくしの人生の目標は「楽して生きる」ことなので、こんなに楽しいことはないのである。
9時半頃に練習が終わって、さて録画してあるナイターを見よか(今日はサンテレビの中継なので、完全中継である)とテレビのスイッチを入れたら、まだ試合は続いていて、ちょうど大和が10点目となるタイムリーを打ったところであった。
どんな試合をしとるねん。
いつもならビデオを巻き戻して最初から(自分なりのダイジェストで)試合を振り返るのだけれど、さすがにここまで点を取りあっていて長時間の試合となると、見返す気力もなく、ネットで試合内容を振り返るのみ。
どうやら原口が4打点、ゴメスが2ランホームラン2発で4打点と、この二人でほぼ試合を決めたらしい。
ならば先発の青柳も、と思いきや、こちらは2安打しか打たれていないのに、フォアボール連発で降板したらしい。
本来なら甲子園初勝利でお立ち台、だったのだね。残念だったね。とはいっても自分が悪いのだからどうしようもないね。次、頑張りましょう。
「ウル虎の夏」ということで、甲子園はほぼ黄色一色に染まっていた。
原口がお立ち台で言ったとおり、ファンの力はすごいものがある。
マツダスタジアムのカープファンもすごかったけどね。
でもわたくしは、メジャー風のマツダスタジアムよりも、どことなく素朴で巨大な甲子園に愛着が湧くのであります。それを黄色に染めるファン。みんな、諦めてないです。
2016年7月28日木曜日
2015年12月31日木曜日
年末の「第九」
もう大晦日である。早いものだ。
年末といえば「第九」。
しかし、捻くれ者である自分はベートーヴェンを聞く気がしない。
というわけで、やはりマーラーである。
マーラーの最後の(全楽章を書き上げたという点で)交響曲である第9番は、自分の中では古今の最高の音楽であり、ベートーヴェンが確立した交響曲というジャンルの音楽の、最後の完成形であると思っている。
これ以降の「交響曲」は、その名前だけを冠した管弦楽曲に過ぎない。
この曲をよく「世紀末」と捉える人がいる。吉田秀和はこの第1楽章を「まさに天国、あの世の音楽」と語ったこともあった(はず)。
しかし、なぜだか自分はこの曲を通して聴くと、聴き終わった時に
「生きていてよかった。。。」
としみじみ思うのである。
それは「こんな素晴らしい音楽を聴くことができてよかった」という単純な思いとともに、音楽そのものへの満足感、充足感、幸福感、そのほかいろんなものが全身に広がるようなきがするのである。
というわけで、年の終わりにマーラーの第九を聴いたのだ。
数年前、BSで放送されていたものの録画。2010年のルツェルン音楽祭。指揮はアバド。
演奏終了後、長い長い沈黙が(黙祷?)会場を包む。オーケストラの能力の高さも相まって(この曲を酷いオケで聴くと暗澹たる気持ちになる)感動的な名演である。
また生きていこう、という気持ちになる。
年末といえば「第九」。
しかし、捻くれ者である自分はベートーヴェンを聞く気がしない。
というわけで、やはりマーラーである。
マーラーの最後の(全楽章を書き上げたという点で)交響曲である第9番は、自分の中では古今の最高の音楽であり、ベートーヴェンが確立した交響曲というジャンルの音楽の、最後の完成形であると思っている。
これ以降の「交響曲」は、その名前だけを冠した管弦楽曲に過ぎない。
この曲をよく「世紀末」と捉える人がいる。吉田秀和はこの第1楽章を「まさに天国、あの世の音楽」と語ったこともあった(はず)。
しかし、なぜだか自分はこの曲を通して聴くと、聴き終わった時に
「生きていてよかった。。。」
としみじみ思うのである。
それは「こんな素晴らしい音楽を聴くことができてよかった」という単純な思いとともに、音楽そのものへの満足感、充足感、幸福感、そのほかいろんなものが全身に広がるようなきがするのである。
というわけで、年の終わりにマーラーの第九を聴いたのだ。
数年前、BSで放送されていたものの録画。2010年のルツェルン音楽祭。指揮はアバド。
演奏終了後、長い長い沈黙が(黙祷?)会場を包む。オーケストラの能力の高さも相まって(この曲を酷いオケで聴くと暗澹たる気持ちになる)感動的な名演である。
また生きていこう、という気持ちになる。
2014年2月1日土曜日
アバドのモーツァルト:レクイエム(2012年 ルツェルン音楽祭)
今年、合唱団でモーツァルトのレクイエム(いわゆるモツレク)を演奏するのです。本番はまだまだ先なんだけど。今、練習の真っ最中。
よく知られていることですが、この曲はモーツァルの遺作で、しかも未完成。「涙の日」の途中まで書いたところで力尽きたと言われています。そして未完の部分は弟子のジェスマイヤーが書き足して演奏したのですね。「ジェスマイヤー版」と呼ばれています。
で、この弟子の書いた部分を書きなおして演奏する、ということが時々あります。今度演奏しようとしているのは、ピアニストで音楽研究家のレビンさんという人が改訂した「レビン版」という版です。これ、新しいということもあってなかなか珍しい。そしてなかなか難しいです。
そのほかにもいろんな人の改訂によるいろんな版が存在するのですね。
で、練習している曲だからということもあって、目についた(耳についた?)ものは一応聞いてみようと思っていました。
そして今日。何気なく撮りためたビデオをちょっとかけてみたら、これがレクイエムだったわけです。それもアバドが指揮したもの。そしてジェスマイヤー版じゃなくてバイヤー版での演奏で(どう違うかはWikiで確かめてみてください。わたくしもよく分かりませんのです)、「サンクトゥス(Sanctus)」だけはレビン版という、変則的な演奏でした。
一部分だけでもレビン版が聞けるやん。それもアバドでっせ。
というわけで聞いてみましたが。これがとても素晴らしい演奏でした。
アバドは先日亡くなってしまいましたが、この時はずいぶん痩せてはいるものの、指揮台上での姿はシャキッとしていてカッコ良かったです。ダイナミックスとかリズムとかのメリハリが聞いていて、聴き応えのある演奏でした。
それと、歌がとてもうまかった。合唱はバイエルン合唱団とスウェーデン放送合唱団。コントロールがよくきいていて、しかも無理がない。細かい動きも明確。こういう風に歌えたらいいなと思いましたね。
そしてソリストの皆さん。こういう合唱曲のソリストは(特にオーケストラ伴奏となると)全体のバランスとかハモリとかは横においておいて、とにかく自分の力量を出そうとする演奏者が多いのですが(まあ普段はオペラとかで、目立つ役目を担っているということもあるんでしょうけど)、今回のソリストの皆さんは、一人ひとりがしっかりしていながらも、4人のバランスがとてもいい。ソリストだけでこんなにハモるモーツァルトは(もっと大げさに言えばオーケストラ伴奏の曲は)あんまり聞けないですね。特にアルトのサラ・ミルガンドという人。テナーが歌っているのかと思うくらい声の幅がすごい(だからテナーとよくハモる)。内声(アルトとテナー)がハモるとこんなに気持ちのいい音楽になるのかと思いました。
ルツェルン音楽祭の伝統のようなものかもしれませんが、演奏が終わったあと、しばらくは拍手もブラボーの声もたてないのですね。指揮者がゆっくりと指揮棒を降ろし、ふうーと息を吐いて、吸って、その空気がふわっとどこかに溶けていってから、ようやくパラパラと拍手が始まって、やがて大きな歓声になっていくのですね。いい演奏を聞きました。こういう風に歌えたらいいんですけど、ね。
よく知られていることですが、この曲はモーツァルの遺作で、しかも未完成。「涙の日」の途中まで書いたところで力尽きたと言われています。そして未完の部分は弟子のジェスマイヤーが書き足して演奏したのですね。「ジェスマイヤー版」と呼ばれています。
で、この弟子の書いた部分を書きなおして演奏する、ということが時々あります。今度演奏しようとしているのは、ピアニストで音楽研究家のレビンさんという人が改訂した「レビン版」という版です。これ、新しいということもあってなかなか珍しい。そしてなかなか難しいです。
そのほかにもいろんな人の改訂によるいろんな版が存在するのですね。
で、練習している曲だからということもあって、目についた(耳についた?)ものは一応聞いてみようと思っていました。
そして今日。何気なく撮りためたビデオをちょっとかけてみたら、これがレクイエムだったわけです。それもアバドが指揮したもの。そしてジェスマイヤー版じゃなくてバイヤー版での演奏で(どう違うかはWikiで確かめてみてください。わたくしもよく分かりませんのです)、「サンクトゥス(Sanctus)」だけはレビン版という、変則的な演奏でした。
一部分だけでもレビン版が聞けるやん。それもアバドでっせ。
というわけで聞いてみましたが。これがとても素晴らしい演奏でした。
アバドは先日亡くなってしまいましたが、この時はずいぶん痩せてはいるものの、指揮台上での姿はシャキッとしていてカッコ良かったです。ダイナミックスとかリズムとかのメリハリが聞いていて、聴き応えのある演奏でした。
それと、歌がとてもうまかった。合唱はバイエルン合唱団とスウェーデン放送合唱団。コントロールがよくきいていて、しかも無理がない。細かい動きも明確。こういう風に歌えたらいいなと思いましたね。
そしてソリストの皆さん。こういう合唱曲のソリストは(特にオーケストラ伴奏となると)全体のバランスとかハモリとかは横においておいて、とにかく自分の力量を出そうとする演奏者が多いのですが(まあ普段はオペラとかで、目立つ役目を担っているということもあるんでしょうけど)、今回のソリストの皆さんは、一人ひとりがしっかりしていながらも、4人のバランスがとてもいい。ソリストだけでこんなにハモるモーツァルトは(もっと大げさに言えばオーケストラ伴奏の曲は)あんまり聞けないですね。特にアルトのサラ・ミルガンドという人。テナーが歌っているのかと思うくらい声の幅がすごい(だからテナーとよくハモる)。内声(アルトとテナー)がハモるとこんなに気持ちのいい音楽になるのかと思いました。
ルツェルン音楽祭の伝統のようなものかもしれませんが、演奏が終わったあと、しばらくは拍手もブラボーの声もたてないのですね。指揮者がゆっくりと指揮棒を降ろし、ふうーと息を吐いて、吸って、その空気がふわっとどこかに溶けていってから、ようやくパラパラと拍手が始まって、やがて大きな歓声になっていくのですね。いい演奏を聞きました。こういう風に歌えたらいいんですけど、ね。
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