2014年12月31日水曜日

【失踪者たちの画家】ポール・ラファージ(柴田元幸訳・中央公論新社)

これが本当に今年最後のアップになるでしょう。

ポール・ラファージという作家はよく知りません。訳者あとがきを読むと、柴田元幸さんもよくわからないようですが。しかし作品はとても面白いです。

どこかわからない都市。アパートの一室でスケッチをするフランク。向かいのアパートの窓に見える女性が忘れられなくなります。やがて町で偶然その女性に出会います。彼女プルーデンスは、事故現場を専門に撮影する写真家でした。
彼女と付き合ううち、スケッチの内容は死体の表情になっていくフランク。しかしある日、プルーデンスは姿を消してしまいます。
そんなフランクは、近親者が失踪した「サロン」に誘われます。やがてサロンに集まる人たちから、失踪した人たちの似顔絵を書くように頼まれるようになります。それがフランクの運命を変えてしまいます。

社会派SFのようでもあるし、寓話的でもあるのですが、現実と夢想との境目がとても曖昧で、結末も「結末」といえるのかどうか。
でも、こういう味わいは大好きです。

2014年12月30日火曜日

12月の読書

あっという間に12月も終わりそうです。ということは1年が終わりそうということですね。
慌ただしい気分はいつもと同じです。どうやら年齢を重ねると時の経つのは速く感じてしまうらしいです。
それはきっと、毎年同じことをする機会が多いせいでしょうし、経験を重ねると次に何が起こるかがある程度予想出来てしまうからといこともあるのでしょうね。
つまり、時を重ねることのわくわく感というか、期待感、あるいは不安感というものがなくなって、そうなるとやってくる時間、過ぎていく時間をより客観的に見てしまう、ということがあるような気がします。
もちろん、そうは思わない時もあるし、思った通りにいかない(実はこちらのほうが多いはずなんだけど)時もあります。そんな時は、時間がゆっくり過ぎていくんですね、きっと。でもそういう時間は、少なくなったなあ。

【人生は彼女の腹筋】駒沢敏器(小学館)
初めて読んだんですけど、実に面白いです。レイモンド・カーヴァーやポール・オースターの色が濃いなあと思います。と思ったら、翻訳もしてはるんですね。昨年不慮の死を遂げたそうですが、惜しいことをしたなあと思います。村上春樹を凌駕していると、個人的には思うので。

【真綿荘の住人たち】島本理生(文藝春秋)
今年は西加奈子イヤーでした。で、西さんが「サラバ!」を書くきっかけというか、10年目に長編を書きたいと思ったのが、島本理生さんが10年目に長編を書いて、それが素晴らしかったから、というのを理由の一つにあげていたので、ではどんな作家なのか(読んだことがなかった)読んでみたのです。
よくある「一つ屋根の下」ものなのですが、登場人物に作者の個性が出ますね。で、この個性はあまり見たことがないかも。ちょっと好きですね。

【愛の風見鳥】田辺聖子(集英社文庫)
【愛のレンタル】田辺聖子(文春文庫)
昔の「恋愛小説」ですけど、今読んでも結構面白いです。というか、ここの時点(60年代?)から、男女の関係ってあんまり変わっていないのかなあと、ちょっと寂しい気もしますね。

【イン・ザ・ヘブン】新井素子(新潮社)
久しぶりの新井素子さん。しかし相変わらずの破滅型というか終末型SF。「希望」や「勝利」や「勇気」なんていうありきたりの人生応援が流行りまくりの昨今では、むしろありがたい存在だと思います。同年代やし。
終末型、なんだけど「希望」もあるし、その中で生きていこうという「勇気」もありますよ。

【できないことはやりません】佐久間宣行(講談社)
テレビ東京のディレクター。人気番組の裏側、TV局の内情を語ってくれるのかとおもいきや、ただの自慢話でした。

【蛇行する月】桜木紫乃(双葉社)
芥川賞を受賞した「ホテルローヤル」よりも分かりやすい。そして共感しやすいです。

【ホーソーン短編小説集】ホーソーン(坂下昇編訳・岩波文庫)
「緋文字」の作者の短篇集。あまり面白みがなかったな。

【ボディ・ブレイン】下柳剛(水王舎)
ちょっとありきたりの精神修養論ぽくて、残念かなあ。いろいろためにはなったけど。

【かかとを失くして/三人関係/文字移植】多和田葉子(講談社文芸文庫)
【傘の死体とわたしの妻】多和田葉子(思潮社)
【海に落とした名前】多和田葉子(新潮社)
【献灯使】多和田葉子(講談社)
【聖女伝説】多和田葉子(太田出版)
【溶ける街透ける街】多和田葉子(日本経済新聞出版社)
【飛魂】多和田葉子(講談社)
【ヒナギクのお茶の場合】多和田葉子(新潮社)
何度も言っていますが、次に日本人でノーベル文学賞を取るとしたら、間違いなく多和田葉子さんだと思っています(個人的な思い入れだけど)。
言葉の持つ不思議に真摯に向き合う姿勢。それはいつも変わりませんね。
初期の「かかとを失くして」よりも、最近の「溶ける街透ける街」や「献灯使」のほうが、個人的には好みです。特に最新刊の「献灯使」は、寓話的なSFタッチと社会性を一つにしたような作品で、安部公房を彷彿とさせますね。そういう道に進んでいくのかなあ。

【時計じかけのオレンジ】アントニイ・バージェス(乾信一郎訳・早川書房)
キューブリックの映画でも有名な(むしろそのおかげで有名になった?)作品です。近未来の「犯罪抑制」の恐ろしさを描いているのだけれど、どこか間が抜けているような印象もありますね。
この翻訳はとても良く出来ていて、スラングをカタカナのまま表記して、ルビで補っているんですね。妙に日本語っぽい言葉を当てはめなかったのは正解ですね。いい感じ。

【ピギー・スニードを救う話】ジョン・アーヴィング(小川高義訳・新潮文庫)
ジョン・アーヴィングの、珍しい短篇集。作者の作風のエッセンスのようなものを味わえます。というか、こういうのが長ーくなって、あの作品群ができているわけですね。
個人的には、こういう短編でもいいんじゃないの、と思ってしまいますが。


まとめて書くと、細かいところは覚えていないし、おかげでちゃんとした批評にもならないですね。いやはやなんとも情けない。
個人的な備忘録としても書いているので、批評にならなくてもいいのですが、どんな本を読んだかが後になったらわからないというのは、やはり困りものです。読んだかどうかさえわかっていないものもあるし。

というわけで、来年の目標は、できるだけ書き残す、ということにしましょう。

2014年12月8日月曜日

11月の読書

師走、になりました。
あっという間に一年も過ぎ去ろうとしています。
のんびりと見過ごす、ということは、年の終わりでもできそうにないのが悲しいですね。
今自分が生きているこの世界が、本当に確かなものなのかどうか、問いかけながら日々を過ごしているような気がします。
そんなことを考え続けるのは、柴崎友香を続けて読んだからかもしれません。
どれも「確かに、今は、今?」という問いかけの中から生まれている作品に思えます。よくある恋愛モノですら。

【春の庭】柴崎友香(文藝春秋)
【また会う日まで】柴崎友香(河出書房新社)
【ビリジアン】柴崎友香(毎日新聞社)
【寝ても覚めても】柴崎友香(河出書房新社)
【ドリーマーズ】柴崎友香(講談社)
【きょうのできごと】柴崎友香(河出文庫)
【週末カミング】柴崎友香(角川書店)
【きょうのできごと、十年後】柴崎友香(河出書房新社)


【人間小唄】町田康(講談社文庫)
うむむ。忘れた(^_^;)


【ヤバい経済学】S・D・レヴィット、S・J・タブナー(望月衛訳・東洋経済新報社)

確かにやばい。そして、経済学の分析と思わせて(たしかにそうなのだろうけれど)数値的な裏付けは、本当にそうか? と思います。ただ、「視点を変えてものごとを見る」というのは大事、そして面白いということは分かる。


【この話、続けてもいいですか。】西加奈子(ちくま文庫)
【ごはんぐるり】西加奈子(NHK出版)
【西加奈子と地元の本屋】大阪の本屋発行委員会/編

買ったはいいけど、まだ読んでないんです。「サラバ!」。エッセイは、まあまあ。まあ飲み話が多いから、ということもあるんだけど。素顔が見れて面白い、楽しい、というのはありますね。


そのほか(1冊ずつ考えるのが面倒になってきたorz)

【暮らしを旅する】中村好文(KKベストセラーズ)
【ああカモカのおっちゃん】田辺聖子(文春文庫)
【本覚坊遺文】井上靖(講談社)
【大きな熊が来る前に、おやすみ。】島本理生(新潮社)
【M/Tと森のフシギの物語】大江健三郎(岩波文庫)

2014年11月23日日曜日

【アマデウス-ディレクターズカット】1984・2002年アメリカ映画

また、地震ですね。このところ、地震に火山の噴火にと、さらには台風や大雨、ゲリラ豪雨とか、天変地異とまではいかないまでも、おかしな現象が立て続けに起こっているように感じます。
「地球が怒っている」とか「神の怒りが」とかいう人も居てそうですが、信心深くないクリスチャンであるわたくしは、そういう人間に対する警告、というようなことはあまり信じませんね。なにか科学的な根拠があるに違いない、と考える方です。それが何か、は神のみぞ知る。って、あれ?

「アマデウス」を、初めて見ました。実はもうすぐモーツァルトのレクイエムを歌うんです。もちろん合唱団の一員として、ですけどね。グッドタイミングだったなと思いますね。

とはいえ、多くの事柄はフィクションでしょうけど。まあ、映画というものはそういうもの。そういうところは差し引いてい考えて楽しむのがいいんじゃないでしょうか。そういう寛容なところがなければ。ドキュメンタリーじゃないんだし。

実話かどうかということよりも、この映画のテーマである「神の御心はどこにあるのか?」(勝手に考えました)というものがとても明確に出ていましたね。まあ「神」を出さなくても、人生の皮肉、不条理といったもの。それに振り回される人生。そのテーマは普遍的なものでしょう。

音楽を愛し、神に祈るサリエリに、神様は才能を与えず、下品で不遜なモーツァルトを愛された(らしい)。モーツァルトの作り出す音楽に感動を覚えつつ、嫉妬もし、そして神を呪うサリエリ。

まあ人生とはうまくいかないものです。何事につけても。
それがこの映画には散りばめられていましたね。
神様の不公平さを呪い続けるサリエリもそうだし、そのサリエリに悔悟を求めようとして逆に打ちのめされる若い神父もそう。
思い通りにはいかないことだらけの人生を送るしかない人々。
人間誰しも、そうやって生きていくしかないのかもしれません。

公開当時はすごく話題になっていましたが、見逃していました。でも今になってから、つまりモーツァルトの音楽をいっぱい知ってから見て、良かったと思います。かつては知らなかった曲がいっぱい散りばめられているのですから。

2014年11月22日土曜日

【オリバー!】1968年・イギリス映画

リパッティの弾くショパンを聴きながら書いています。
音楽を愛する人は多いけれど(自分もその一人だと思っています)、音楽に愛される人というのはそんなにいないような気がします。
リパッティは、音楽に愛された、というよりもピアノに愛されていたような気がします。古い録音しか残っていないのに、ピアノの音がほんとうにきれいに澄んでいるように聞こえますね。

「オリバー!」を見ました。ディケンズ原作のミュージカル映画。
何年か前に、ポランスキーが監督した「オリバー・ツイスト」を見ましたが、そちらは原作に忠実なようで、とても人間臭く、暗い人間模様が息苦しいくらいでした。

ミュージカルになると一味も二味も違っていて、なにしろ貧しい人たちの活き活きとしていることが救いです。そのほとんどが泥棒だったりするのですが。

そしてミュージカル映画といえば、歌と踊りですね。
特にこの作品では、大勢の人たちが次々に踊りの輪に加わっていく群舞がすばらしい。
一つの通りを、ひとつの広場全体を舞台として踊り広がっていくさまは圧巻です。これぞ映画。

そして根っからの悪人は悲壮な最期を遂げ、根は優しい悪人は優しい悪人のままで、善人は恵まれるというハッピーエンド。マーク・レスターのあどけなさ。ジャック・ワイルドのかっこよさ。フェイギン役のロン・ムーディーは、特に絶品でした。

世の中、悪いことばかりじゃない、と信じたくなるような。そうもいかないみたいなんですけど。現実は。やれやれ。

2014年11月21日金曜日

【天井桟敷の人々】1945年・フランス映画

録りためていた映画の消化。
フランス映画史上、最高傑作の呼び声高い作品です。

3時間を超す大作ですね。でも飽きることなく見れました。とても面白かった。

よく言われるように、脚本が、というか、セリフが素晴らしい。
有名な「愛する者同士には、パリは狭すぎる」を筆頭に、もう全てのセリフを書き留めておきたいと思うくらい、めくるめくような言葉の奔流。しかもそれがわざとらしくないところがすごい。

さらにそれに対抗するかのようなバチスト(ジャン=ルイ・バロー)のマイム演技。劇中劇での表現力の高さには圧倒されます。
友人でありライバルでもあるフレデリックが、バチストの舞台を見て役者としての情熱を再燃させるシーンは、それぞれが実際に素晴らしい演技ができてこその説得力、でしょう。それができる俳優としての技量の高さ。

そしてヒロインのガランス(アルレッティ)。最初はどうってことない町の女風で、しかし言うことがとても粋で、その魅力に引き込まれるという設定が、映画が進むに連れて納得させられてしまいます。

ラストシーンは、なんなんだろうと考えさせられてしまいます。落ち着くべきところに落ち着くわけではないというところが、フランス好みなのでしょうか。
「これから先のことは、さあ皆さんでどうぞご想像ください」というところなのかも。

ともかくも、今やこういう「粋なセリフ回し」で見せる映画というものはなくなってしまったような気がします。その意味では、貴重な作品なのでしょう。

2014年11月20日木曜日

【トゥモロー・ワールド】2006年・イギリス映画

メジャーリーガーとの日米野球も終わり、週末のフィギュア以外は(それも録画で見るに限る。何しろくだらないVTRが多すぎる)時間ができて、録りためていた映画を消化する日々。

「トゥモロー・ワールド」はイギリス映画、らしい。知っている俳優はジュリアン・ムーア、ぐらいかなと思ったけれど、ヒッピー老人がマイケル・ケインだったというのをあとで知って驚いた。全くわからなかったなあ。

未来のイギリス。人類の生殖機能が失われて久しく、世界にはテロが横行。ロンドンだけが治安を(強制的に)維持していて、世界中から不正入国が相次ぎ、それをさらに強制的に取り締まる政府と、それに抵抗する過激派集団。そのリーダーであるジュリアンの元夫であったセオは、ジュリアンに頼まれて少女キーの逃亡を手助けすることになる。なんとキーは妊娠していたのだった。

というわけで、前半は比較的静かに、ちょっとイギリス流のユーモアやペーソスもあったりするのだが(クリムゾン・キングの宮殿が流れたり、ピンク・フロイドの「豚」が発電所の上に浮かんでたり)、後半はやたらに人が撃たれるは、戦闘シーンが(リアルに)あるはで、何じゃこの映画は! と思ったのであります。ジュリアン・ムーアは早々に死んでしまうし。

終盤の戦闘シーンは、ドキュメントを見ているような迫力で迫ってきますが、だったらそういう映画として全編を通せばよいものを、と思ってしまいます。この映画を作った人は、どういうコンセプトで撮り始めたのだろうか。よくわからないけれど、持てるもの、表現したいものを全て注ぎ込んで、結果、中心となるテーマがあやふやになったかも。

最後に「トゥモロー号」が出てくるから「トゥモロー・ワールド」なのかな。原題は「Children of Men(人類の子供たち)」というらしい。子供は出てこないのだから、この題名は??? というところから考え始めるのもいいかもしれません。って、何も浮かばないのだけれど。

2014年11月11日火曜日

直前練習

羽生選手の強行出場(と言っていいでしょう)には、賛否両論あるようですね。
確かに、これからのことを考えると、というか、あの状況で出場するのは、無謀であったでしょう。
それでも滑ってしまったからねえ。
そして、高得点を出してしまった。

まるで漫画。出来の悪いスポ根ドラマのシナリオのようです。
で、朝から何度も、衝突シーンを放映するテレビの節操の無さにも、少々腹が立ちますね。
実際の映像をそんなに流してどうなる? と思います。

で、まあ結果はよかったわけですが。
しばらくは休養でしょう。
しっかり休んでほしいです。
年末の、全日本ぐらいを目標にしてくれたら、それでいい。

日本のスポーツ業界(そんなのがあるのか)は、どうやら冬のスポーツは羽生だのみのところがあるようですが、ちょっと改めてもいいのでは、と思いますね。
かつての浅田真央だのみよりも、さらにエスカレートしそうで、傍で見ているとあまりいい気分ではないですね。

ぶたこが昨日つぶやいて(ツイッターじゃなく)いたし、今朝フィギュア解説の佐野稔さんも言っていたけれど、直前練習を6人で行うのは、もう無理があるような気がしますね。
特に男子は。
男子のスケートは、今や4回転は必須。
4回転を跳ぼうと思ったら、今までより以上のスピードで滑らなければいけません。
だいたい時速30キロぐらいですと。
「昔はそんなに速く滑ることはなかった」というのが佐野さんの話。
「僕の現役時代の、さらにもっと前から直前練習は6人で、となっていた。これはもう今の時代では危険すぎるのではないでしょうか」
「今シーズンから、名前を呼ばれてから演技を始めるまでの時間が、昨シーズンの1分間から30秒になった。その分時間は取れるはずです。6人じゃなくて、4人ずつにするとか。選手の安全のために、その時間を使ったらいいんじゃないかと思います」

どうも最近のフィギュアのルール変更などは、競技の面白さを増すことに気をかけていて、選手の安全などは「今のままで十分やん」と思っているようなところは、確かにあるように思いますね。
今の時代、それではダメ。
選手が安全に、安心して競技に集中できるように、見ている方も安心して選手を応援できるように、工夫すべきところはたくさんあると思います。

2014年11月9日日曜日

フィギュアスケート GPシリーズ(前半)

フィギュアスケートの季節です。グランプリシリーズも、早くも6大会のうちの3つが終了しました。
浅田真央の休養、高橋大輔、鈴木明子の引退宣言などで、やや盛り上がりにかけるかと思われた今シーズン。
グランプリシリーズでも、見どころは少ないかな、まあ純粋に競技を楽しもう、などと思っていましたが。
いやあ、初戦のカナダ大会から泣かされっぱなしです。
それも男子のスケートに。

ただ、カナダ大会、アメリカ大会では感動の涙でしたが、今回はちょっと違っていました。
日本人選手の中では、金メダルに一番近い、というより、世界中で一番「金」に近い羽生結弦が出場した、中国大会。

男子の試合を生中継していたのは、時差が少ないからという以上に、羽生人気があると思いますけれど。
だから、その瞬間を見てしまいました。
そして叫んでしまいました。
おそらく、多くのフィギュアスケートファンと一緒に。

試合前の本番前の、6分間練習での、ハン・ヤン選手と羽生選手の衝突。
ふたりともこれからジャンプをしようとしている、一番スピードに乗った状態での衝突でしたから、衝撃もすごかったでしょう。
ふたりともしばらくは起き上がれなかったみたいだったし。

いままでも、何回か同じようなシーンは見たことがありますね。
ちょっとぶつかったぐらいだったら、「スマンスマン」ですみますけど。
今回のようにトップスピードでぶつかったら、少なくともどちらかの選手は棄権ですね。

今回も、ハン・ヤン選手は棄権する、という発表だったんですが。
いざ本番、となると出てきましたね。
びっくりしました。
地元開催、ということもあっただろうし、どんな成績でも、一応点数が残れば「成績」として残るわけだし。
などということを考えたのかどうか、分かりませんが。

テレビ解説の佐野稔さんも言っていましたが、こうなると「とにかく無事で滑り終わってくれ」ということしか考えられません。
応援するもなにもあったもんじゃないですね。

6分間練習もせずにいきなり滑って、それでもいくつかのジャンプは成功させていたし、頭がふらふらしていただろうに、スピンもしていたし。
なんというか、想像を絶するファイトでした。

そして羽生選手も、頭に包帯、顎には止血という状態で、4回転ジャンプに挑んでいました。
こちらはいちおう6分間練習はしていたけれど。
衝突の影響は大きかったはず。
それでも予定していたジャンプの要素は(後半の4回転トウは回避したものの)すべて跳ぼうとしていたし(5回転倒)。

ふたりとも、とにかく無事に最後まで滑りましたね。
どちらの演技中にも、途中から「もうええよ、もうええよ」という言葉しか出てこなくなっていました。

そして、点数。
びっくりしましたね。
ハン・ヤンは、思っていたような点数だったけど、羽生選手は一人を残しての1位得点。

なんかもう、よおわかりません。
羽生選手、涙涙。
それを見て、テレビの前のおじさん(わたくし)も涙涙。

ふたりのアスリート魂(そんな言葉はあまり好きじゃないですけど)を見ましたね。
脱帽です。

次の大会まで、ふたりとも少しは間があるので、しっかり体を治して、「本来の演技」を見せてほしいですね。

2014年11月3日月曜日

9月・10月の読書

9月の読書感想文を書いていないなあと思っているうちに、10月も飛び去ってしまい、もはや11月も2日(日付が変わったのですでに3日ですね)です。いやはや。

もう、何かをやり遂げようとか、そういう欲もなくなってきました。
ちょっと言い訳をするなら、あんなにタイガースが、最後の方まで頑張るとは思いませんでした。
切れかけたエンジンを何度かふかしなおすような気分で、かえって疲れました。
でもいつもより長く楽しませてくれたので、これはこれでよしとしましょう。後はまた来年、ということで。

というわけで、9月の半ばから10月いっぱいにかけて読んだ本の一覧です。


【炎上する君】西加奈子(角川書店)

行ってきましたよ、西加奈子さんの講演会。いやあ楽しかったなあ。ますますファンになりました。新刊も発売なったから、買いに行こうかな。


【超高速!参勤交代】土橋章宏(講談社)

突如幕府から言い渡された参勤交代命令。しかも日数がほとんどない。お金もない、人材もない藩主がどうやって幕府の横暴に立ち向かうか、という痛快なお話です。映画化もされましたか。確かに映画的。


【絶対!うまくなる 合唱100のコツ】田中信昭(ヤマハミュージックメディア)

絶対うまくなりそうなので、手元に1冊置いておきたくて、ついつい買ってしまいました。


【トップスケーターの流儀】中野友加里(双葉社)

これからソチオリンピックのシーズンに入るスケーターに元スケーターで現テレビ局職員となった中野友加里がインタビューしています。もともと友人だった人たちに聞いているので、肩肘張らず、時折本音も垣間見えて楽しいですね。


【スーラ】トニ・モリスン(大社淑子訳・早川書房)

貧しい地区に生まれ育った子どもたち。秘密を共有することになった二人の行く末。サスペンスタッチですな。


【ガープの世界】ジョン・アーヴィング(筒井正明訳・サンリオ出版)

アーヴィングの出世作ですね。いつも長編を書くんだけれど、どこか短編の寄せ集めのようなところもありますね。一つ一つのエピソードは面白いんだけど。まあ好き好きかなあ。あと、アメリカに詳しくないと面白さは半減するかな。


【結婚は人生の墓場か?】姫野カオルコ(集英社文庫)
【リアル・シンデレラ】姫野カオルコ(光文社文庫)
【ツ、イ、ラ、ク】姫野カオルコ(角川文庫)

色んな顔を見せてくれる姫野カオルコ。ある意味で「恐怖小説」ともいえる「結婚は人生の墓場か?」。希望を垣間見せる「リアル・シンデレラ」。リアルでかつファンタジーに溢れる(と思うのはわたくしだけ?)「ツ、イ、ラ、ク」。どれも圧倒的なパワーを感じます。ジャンル分けのできない作家ですね。でも間違いなく、どれも姫野カオルコであるところがすごいです。


【銀二貫】高田郁(幻冬舎文庫)

時代小説なんだけど、大阪が舞台で、しかも商人が主人公というところがいいですね。つまりサムライの論理が通用しない。そこが痛快です。わたくしにとっては。そして感動的です。


【男と点と線】山崎ナオコーラ(新潮文庫)

なんか普通っぽいようにみえて、「え?」と思わせる。そんな話だったような(すみません、憶えていません)


【プラネタリウム】梨屋アリエ(講談社文庫)
【ピアニッシシモ】梨屋アリエ(講談社青い鳥文庫)
【スリースターズ】梨屋アリエ(講談社文庫)

いろんな人の思いが交差する連作「プラネタリウム」が面白かったので、続けて同じ作家のものを読んでみたんですけど、「ピアニッシシモ」はいろんなものを短い中に詰め込みすぎたみたいで、「スリースターズ」は、途中は面白かったけれど、だんだんライトノベル調になったところでパワーダウン。でも、長い話でも最後まで読ませる力量を感じます。無理して短い話にしないで、長いものを書いてくれたらなあ。


【創作の極意と掟】筒井康隆(講談社)

ちょっとふざけて「創作」について書いているのかと思わせておいて、実はシリアスなことをしっかりと書いている、というこの作家独特の言い回し。堪能します。


【りすん】諏訪哲史(講談社文庫)

芥川賞受賞の「アサッテの人」に続く作品。全編会話。意気込みは認めるけれど。ちょっと空回り気味。余分なことが多すぎたかな。でも書いておかないとわからないこともあるから、難しいですね。で、そんな作家の苦労はよくわからず、読み手は、面白いか面白くないかで判断してしまうのです。


【獣の奏者-外伝・刹那-】上橋菜穂子(講談社文庫)

本編「獣の奏者」に出てくるエリンの出産話など。ファンタジーなんだけどリアル、というところがこの作家の特徴なのでしょうが。こんな話、読みたいかなあ、というのが正直なところ。ドラマはあるけれど、伝えたいものは何だったんだろう。


【わたしがいなかった街で】柴崎友香(新潮社)

芥川賞受賞おめでとうございます。この作品ではないですね。過去に起こった出来事が現在につながっている。過去に、その場所に、わたしはいなかったんだけれど。いたら、どうなっていただろう。なんていうことをぐるぐるぐるぐると考えるような。私小説でもなくSFでもなく。不思議な感覚です。


野球のシーズンも終わり、フィギュアスケートの応援にシフトしています。
毎年、今年は200冊ぐらい読もう! と目標を立てるのですが、毎年果たせずに終わっています。
今年もそうなりそうな気配。
まあ、たくさん読めばいいというものではないですけどね。
でも、どんな本でも、読んでみなければ、面白いかどうかはわからない。
たとえ多くの人が絶賛したとしても、自分の心に響くかどうかはわからない。
だから読むしかないのですね。
楽しむためには、ある程度の忍耐と苦労も必要ということですか。
今年もあと2ヶ月。
年末に向かって忙しさは増すばかりですが、乱読はやめられません。

2014年9月16日火曜日

【獣の奏者】上橋菜穂子

ちょっと秋めいてきましたかねえ。すでに9月も半ばを過ぎましたし。名月もスーパームーンも終わってしまいましたね。

何度も「今度こそ継続して書くようにしよう」と思うのですが、思いつきはすぐには実行に移すことができず、今に至っています。もう何度も決心した自分が情けない。もうあまり自分を信用しないほうがいいのかもしれませんね。55歳を過ぎて、未だにこんなことで悩んでいるのです。多分一生悩み続けるのでしょうね。いやはや。

【獣の奏者】を続けて読みました。「闘蛇編」に続き「王獣編」さらに「探求編」「完結編」まで。

いちおう「王獣編」までの2作で一段落なのですね。そこで語られていたのは、ある王国の物語。そして、避けられない運命。分かり合えない「獣」と「人間」の世界。そしてほんの僅かな希望。
人として生きていくためには避けられない生き方。あまりにも厳しい現実。

「闘蛇編」では、王国リジェを守るために育てられる「闘蛇」、その生育を任されているエリンの母親が、多くの闘蛇を一夜のうちに死なせてしまうことで罪に問われ、残酷に処刑されてしまいます。残されたエリンは、見知らぬ養蜂家に育てられ、やがて生命の不思議に触れていきます。
「王獣編」では、王国の象徴として飼われていた王獣が、実は闘蛇をも凌駕する力を持っていることが分かり、さらにエリンはその王獣のうちの一頭リランを育てることになります。リランと心を交わせるようになればと願うエリンですが、それは恐ろしい運命の扉を開くことにもなるのです。

こんなもの、こどもが読んでも分かるのかいな。と思いますが、作者は、分かってくれようがくれまいが、そんなの関係ないと思っているかもしれません。心に残る物があればそれでいいと思っているのかも。

たしかに、心に残るものがあります。大人が読むと、余計に。

続編として書かれた「探求編」「完結編」は、さらに難しい。成長し、息子を設けたエリンが、昔からの言い伝えをひとつずつ解き明かしていくさまが中心なのですが、ファンタジーなのに、血沸き肉踊るような場面は、最後の方になってやっと出てくるだけで、多くはこの作品世界の成り立ちや、過去の悲劇がどのように起こったのかの謎解きになっています。そして巻き起こるあらたなる悲劇。

ちょっと都合が良すぎる、というところもありますけれど、これもまあ小説ですから。
それに、作者が伝えたかったことは、はっきりと伝わります。それはもう、何の隠し事もなく、というかたちで。

2014年9月9日火曜日

映画【ものすごくうるさくて、ありえないほど近い】(2011年・アメリカ)

中秋の名月です。外に出たら、大きなお月様が出ていました。


で、月だけ撮っても芸がないですね。面白みがないというか。撮った時は「きれいに撮れた!」と感動モノだったのですが。


テレビで放映していた【ものすごくうるさくて、ありえないほど近い】を見ました。
原作を読んでいたので、どんなふうに映像になっているのか、とても興味がありましたね。
公開時、マックス・フォン・シドーが、最年長でアカデミー賞にノミネート、というのも話題になっていたし。きっといい映画なんだろうと。

で、確かにいい映画でしたね。
子役のトーマス・ホーンがとてもいい。これ、どうしてこの子が何かの賞をとるとかなかったのかなあ。

原作は、出版された本の可能性を広げようとしているような、そんな書き方というか体裁がとても斬新でしたが、さすがに映像ではその斬新さはなくなってしまいますね。
それと、原作では9.11と、おじいさんが体験した第二次大戦での出来事とがどこかでつながったこととして、重層的に語られるのですが、映画ではおじいさんのエピソードはほんの背景になってしまっていたのが、ちょっと残念かな。
でも、映画の長さを考えると、致し方無いですね。

それでも、原作も持っていた一つのテーマ(だとわたくしは思う)である、「分かり合うこと」の難しさと大切さは、よく伝わっていたと思います。
映像も丁寧で、音楽も押し付けがましくなくて、よかったです。

ああ、自分で書いて、よく分かりました。
この映画、押し付けがましさが無いですね。映画の中の時間は、ゆったりと流れているように感じられるし。そこがいい。

2014年8月31日日曜日

8月の読書

今年は広島カープかなあ、などと思っています。あ、今、タイガースの試合を見終わったところなので。この夏はいろんなことがあったし、前からカープは良いチームだなあと思っていたし(カープファンになろうかなあと考えたこともあった(今も考えている?)し)。

そんなこんなで8月も終わりますね。

【フォトグラフール】町田康(講談社)

いろんな写真に、面白おかしく文章を添える。その発想は昔からあると思いますけど、さすが町田康は、スカシ方とかが他とは違うなあ。ま、それだけですけど。


【be soul】高橋大輔(祥伝社)
【乗り越える力】荒川静香(講談社)
【ステップ・バイ・ステップ】小塚崇彦(文藝春秋)

フィギュアスケーターシリーズ3冊。三人三様。感覚的、感情的で、ややコンプレックスもあるけれど前向きになろうとするバンクーバー五輪前の高橋大輔。金メダルの実績から若い人たちに伝えたいことを誠実に綴る荒川静香。常に冷静に一つ一つの演技や競技を振り返る小塚崇彦。それぞれのスケートのとおりやなあと思えるところもあって、興味深いです。個人的に、わかりやすいけどおもしろみのないのが小塚、屈託だらけでよくわからないけれど興味が尽きないのが高橋、といったところです。


【大阪学】大谷晃一(新潮文庫)
【続大阪学】大谷晃一(新潮文庫)
【大阪学 文学編】大谷晃一(新潮文庫)

大阪独特の地域性、個性はどこから来たのか、を解き明かそうとする試みです。3冊続けて読むと、「武家社会ではなかったこと(江戸時代では稀有なことだったらしい)」が大きな転換点であったように思えます。そして自分を振り返った時に、まさにこのとおり、と思うことが多くて、その理由が解き明かされるようで、となると自分の立つところがここ、と言われているようで、大阪人としてはありがたい読み物でした。


【ゴランノスポン】町田康(新潮文庫)

題名については本作を読んでもらうとして。町田康得意のバックドロップを楽しみましょう。


【空飛ぶ馬】北村薫(創元推理文庫)

北村薫のデビュー作(短編連作)。落語家探偵(と呼んでいいのか)円紫さんと古典研究の大学生(わたし)が謎を解明していきます。血なまぐさい事件は起こらないけれど、本格的な推理モノとして楽しめますね。


【獣の奏者-闘蛇編-】上橋菜穂子(講談社)

上橋菜穂子はあまり興味がなかったのですが、テレビで見る機会が何度かあって、まあ読んでみようかなと思ったわけです。さすがに物語の展開が面白いです。児童文学なんだけど、ちょっと強烈な場面も。それでも「読ませる」技術はすばらしいですね。続きがすぐに読みたくなりました。


【月は無慈悲な夜の女王】ハインライン(ハヤカワ文庫)

SF名手ハインラインの1967年ヒューゴー賞受賞作。2067年、地球の植民地となっていた月で反乱が起きる。主導するのはコンピュータエンジニアのマニー。協力するのは「感情を持つ」コンピュータ「マイク」。武器を持たない「月人類」に勝ち目はあるか?
さすがに時代がかった設定と言えなくもないですが、映像化したら今でも受けるんじゃないかという内容でもありますね。それだけ先進的だったということもできるし、ここからSFがそれほど発展していないんじゃないかという懐疑的な見方もできてしまいます。まあそんなややこしいことを考えずに楽しめる冒険談ではあります。


【名演奏のディスコロジー】柴田南雄(音楽之友社)

1977年の雑誌連載をまとめたもの。その当時の「先進的」「前衛的」な音楽・演奏について、作曲家柴田南雄が思いのままに批評を展開しています。はっきりと「これは私好み」「これは今の私の好みじゃない」と言ってくれるので、あれこれ詮索せずにそれぞれの演奏について知ることができます。ただし、あくまでも柴田氏の視点で、ということですが。
それにしても、これが書かれてからもう35年以上が経っているというのに、いまだにシェーンベルクもウェーベルンも「古典」にはなり得ていない、という事実は、どうなんですかねえ。


【パーク・ライフ】吉田修一(文藝春秋)

芥川賞受賞作。公園で出会う人達と主人公とのふれあい。みたいな話だったかな。すみません、あまり覚えていません。こういう「私小説」は語り手である主人公に共感できるかどうかが大事だと思うのですが、どうもこの主人公とは分かり合えないようです。


【地下の鳩】西加奈子(文藝春秋)

西加奈子。面白いです。先日の「漁港の肉子ちゃん」につづき、これを読めてよかったです。「地下の鳩」と「タイムカプセル」の2作。連作といっていいのかな。キャバレーの呼び込みをしている「吉田」と美人でもないバーのチーママの「みさを」の物語が中心の「地下の鳩」。その友人でもあるオカマバーの「ミミィ」の物語「タイムカプセル」。どちらも読んだあとに心に残るものがあります。子供の頃のトラウマ。与えた方は何も感じていないけれど、与えられた方はいつまでもそれに苦しむことになる。それをどう乗り越えるか、答えはないけれど。


月も変わります。明日からはどうかもうちょっとマシな毎日に、と願わずにいられません。

2014年8月5日火曜日

鹿島田真希 3題

あそこでは大雨、こちらでは猛暑と、日本の気候はどうなっているのかと思いますね。こんなんでオリンピックとかやって大丈夫なのかなとか。夏場じゃなくて、前回の東京五輪と同様に秋にやったらどうなのかなとか。オリンピックは夏のもの、というイメージが大きいから仕方ないかもしれませんが。

【ハルモニア】鹿島田真希(新潮社)
【女の庭】鹿島田真希(河出書房新社)
【暮れていく愛】鹿島田真希(文藝春秋)

前に読んだ「冥土めぐり」(芥川賞受賞作)が、まあまあ面白かったので、新刊が出た(ハルモニア)を機会にちょっとまとめて読んでみました。といっても、それぞれが短いものですから、すぐに読めてしまうのですけれど。

「ハルモニア」は、音楽大学に通う4人の学生たちの話。才能豊かな(でも他人との関係には無頓着な)ナジャを中心に。まあ話の中心は語り手「僕」とナジャとの恋愛、ということになるのかな。恋愛に関しても、「音楽を極める」手段としかとらえられないようなナジャと、それを知りつつ心惹かれる僕。理愛し合えないことを前提に理解する、という難しいことをやってるような気がしますね。まあそれって、日常でやっていることかもしれませんが。
音楽大学が舞台なのでということもあってか、いろんな例えが音楽用語や楽曲解説のように出てくるのですね。音楽に明るくない人が読んでも分かるのかなあ。シンフォニーのように恋愛する、って言われてもねえ。

「女の庭」は、ちょっと怖いです。マンションでの主婦たちの井戸端会議。隣に引っ越してきた外国人女性。多分ひとり暮らし。もちろん格好の噂の種。しかし、ふと自分も他人には同じように見られているのではないかということを考えると、恐ろしいし、そうならないように話を合わせようとしたりして。

「暮れていく愛」は、夫婦のモノローグが交互に出てくる構成。それぞれが相手を思いやり、思いやるあまりに苦しくなる。自分勝手に相手を束縛しているのではないか。いやひょっとしたら浮気をしているのかも。自分と居るのが嫌になった? そうならないようにしたい。いつも一緒にいたい。相手を自由にさせてあげたい。
相手を思いやることが相手を束縛することにつながるかもしれないのですね。愛は難しい。

どの話も、「相手との関わりをどうするか」ということを、とても突き詰めて書かれているなあと思いました。二重三重に物事を捉えだすと、無限ループにはまってしまいそうになるんですけど。そこが面白いと思いだしたら、自分自身が逃れられなくなりますね。

2014年8月4日月曜日

【舞台】西加奈子(講談社)

結局、この土日は雨雨雨で、タイガースの試合もなく、のんびりとした2日間になりました。まさに雨読状態。

【舞台】西加奈子(講談社)

この題名で、舞台はニューヨーク、となると「舞台人を目指してマンハッタンへやってきた日本人」の話かなと思ったら、全然違っていました。

29歳・無職の葉太は、父の遺産でニューヨーク・マンハッタンへと一人旅。初めての海外旅行、一人旅で、やりたかったことは「セントラルパークで本を読む」こと。借りていたアパートメントからセントラルパークのシープメドウへ。念願かなって、さて芝生の上で読書、と本を開いたところで、持っていたカバンを盗まれてしまいます。カバンの中には、パスポート、財布、クレジットカード、帰りのチケット...すなわち「すべて」が入っていました。突然の出来事に、なすすべなく立ち尽くし、薄笑いを浮かべるしかない葉太。しかし、「ニューヨークに着いた途端にカバンを盗まれたマヌケなやつ」と思われるのはいや。そこから、サバイバルな生活が始まるのです。

他人の視線を気にするあまり、おかしな行動にハマってしまうマヌケなやつ、なんですが。読む進むうちに、人間誰しもそういうところがあるよなあ、ということに気付かされます。このブログにしたって誰かに読まれることを想像して書いているわけですし。そういうはっきりとした行動でなくても、ちょっとしたこと(道を歩くこと、電車にのること、椅子に座って伸びをすること)や、儀礼的なことも含めて、わたくしたちの周りは「誰かに見られている」ことの連続なのだなと思います。

「自分らしく、正直に生きろ」と、言うのは簡単ですが、なかなかそうは行きません。結局は誰しもがこの世の中という「舞台」で、「自分」を演じ続けているだけ、なのかもしれませんね。
というふうに書いてしまうと、ありきたりな小説のように思われるかもしれませんが、さすがに西加奈子は違いますよ。
主人公の葉太に「こいつ、阿呆ちゃうか」とツッコみつつ、「ああ、あるある」と納得させられてしまいます。

2014年8月3日日曜日

【それでも前を向くために】高橋大輔(祥伝社)

今日は久しぶりに一日中雨でした。晴耕雨読そのままに、読書の一日です。

【それでも前を向くために】高橋大輔(祥伝社)

フィギュアスケーターシリーズ(勝手にそうなっていますが)の4冊目。今回はソチ五輪代表選考を間近に控えた時期の高橋大輔選手。
まえがきにあるように、どこか自分を見つめなおすために書いたようなところもありますね。それだけ正直な心境を綴っているともいえますが、思いのまますぎてよくわからないというか、まあ人間誰しも、自己矛盾な部分はあるから、そうなってしまうのは当たり前というところもあるんですけどね。
例えば、技術(体力)は大切だ、と言うてみたり、気持ちの持ちようだと言うてみたり、みたいなところ。鈴木明子にもありましたけど。つまりは両方がバランスよくいっているとうまくいくんでしょうけどね。というのは分かりますね。
ヘタレだけど負けず嫌い、というところは、四人兄弟の末っ子という共通項があるわたくしには(わたくしは姉が二人だけれど)よく分かります。

2014年8月2日土曜日

7月の読書

暑い日が続いていますね。と言っている間に、もう8月になってしまいました。あっという間ですね。

暑い日には外に出ず、読書あるいは音楽鑑賞あるいはテレビ。テレビも、気に入ったドラマや映画を録画しておいて、気に入った時間に(つまり涼しい状態で)見るのがよろしいですね。

この数日は本当に暑くて、家でじっとしていることが多かったので、読書も進みました。


【風】青山七恵(河出書房新社)

芥川賞作家の作品を久々に読みました。受賞作は、あまり印象にないのですが、確か村上龍と石原慎太郎が揃って会見したような記憶があります。
で、まあちょっと奇妙な味の家庭小説、といったところです。すみません、今回もあまり印象に残ってないので。


【バナナ剥きには最適の日々】円城塔(早川書房)

引き続き、芥川賞作家の新しい作品ですね。しょっとSFがかっていて、青山七恵よりさらに奇妙です。言葉遊び的なところもあるし。でも、ここまで行くとわたくしの趣味に入ってくるのですね。つまりは、よい読み手とはいえないのかもしれませんが。誰に迷惑をかけるわけでもないので、許してもらいましょう。


【穴】小山田浩子(新潮社)

はい、昨年の芥川賞受賞作ですね。
結婚して数年後、夫の元実家に引っ越すことになった夫婦。しかし、奥さんの周りには奇妙な出来事が次々に起こる。さらに、今まで知らされていなかった弟の存在まで。
大事件が起こるわけではないのですが、そこはかとなく、怖いです。


【猫語のノート】ポール・ギャリコ(灰島かり訳・筑摩書房)
【猫語の教科書】ポール・ギャリコ(灰島かり訳・筑摩書房)

猫好き作家、ギャリコの猫本2題。「ノート」は、最近よくある猫の写真にひとこと載せたようなものです。「教科書」は、「猫が、自分の手で(足で?)書いた、後輩たちへのメッセージ」という体裁の、実によくできた話です。最初の「どうやって人間の家を乗っ取るか」の章には、思わず笑ってしまいますね。


【余生返上】大谷晃一(ノア編集工房)

今年亡くなった、「大阪学」などの著書があり、テレビのコメンテーターとしても有名だった大谷さんの、たぶん、最後の本でしょう。
長年連れ添ってきた奥さんを亡くした空虚感。そこから立ち直って、またエッセイを書き始める話など、飾り気のない文章で綴られています。最後の「死亡記事」(自分の)が、なんとも。


【ひとつひとつ。少しずつ。】鈴木明子(KADOKAWA)
【蒼い炎】羽生結弦(扶桑社)
【空に向かって】安藤美姫(扶桑社)

フィギュアスケーターの著作を、まとめて読みました。著作、といっても、本人が書いただろうというのは鈴木明子のみで、あとの二人は青嶋ひろのがインタビューを再構成する、という形になっています。
となると、鈴木明子のものが選手の本音が出ているのか、といえば、そうでもないのですね。自分で書くとなると、どこか飾ってしまうところがあるのかなあ。いい言葉もあるんだけど、よく聞く人生訓だなあと思ってしまったり。当たり障りがないというか、「本人が書いた」という特殊性のようなものは薄いですね。
で、インタビュー中心の2冊は、逆に「ぽろり」と出てしまう本音があったり、あるいは聞き手である青嶋ひろのがその時感じた選手の思いのようなものが出ていて(というか、意識して書き起こしているのでしょうけど)、読み物としては面白いです。
ちなみに、鈴木明子のは最近の出版。羽生結弦は震災の年の、次の世界選手権を目指してようやくみんなの注目を集め始めだした時のもの。安藤美姫は、バンクーバー五輪の直前の心境。という風に時期がずれています。ということで、羽生、安藤の2冊は、「あの時、こんなことを思っていたのか!」という面白さもありますね。


【昭和の犬】姫野カオルコ(幻冬舎)

直木賞受賞作。姫野カオルコはわたくしと同世代です。だからここで言う「昭和」というのは、わたくしの感覚にぴったりマッチしてしまいます。それだけでもう半分以上気持ちのいいところに行ってしまいますね。
まだどこかに「戦後」が残っていた時代。この主人公のお父さんのような人は、確かにいましたね。ありそうもない話のようで、とてもリアリティがあります。そんな話が本当に「面白い」話なんでしょうね。姫野カオルコは、ちょっとこれからも気になりそうです。


【恋歌】朝井まかて(講談社)

姫野カオルコと同時に直木賞を受賞した作品。
明治初期。歌人である師匠が入院することになり、身の回りの整理を頼まれた弟子の花圃は、若き日の師匠の手記を見つける。その内容は。。。。
幕末の混乱期に、江戸の商家から水戸家に嫁いだ登世。慣れない武家での暮らしに戸惑うばかり。その上、夫は水戸藩の内乱に巻き込まれ、自身も悲惨な境遇に。
波瀾万丈の展開なんですけど、正直、こういう「武家もの」は苦手です。結局は武士とその家族の生き方、生き様を美化しているような気がしてしまうのです。
それから、わたくし、幕末から明治維新にかけての歴史には、とんと疎いのです。薩摩がどうした、長州がどうした、御三家は、皇女和宮は。。。。と続くと、頭が混乱してしまいます。こういう歴史物が好きな人にはこたえられないのかもしれませんし、この程度の歴史は知っていて当たり前なのかもしれませんが。
「知っていて当たり前」という感覚は、どこかライトノベルに近いものがあるような気もしますね。ということで、歴史物が廃れないわけは、ライトノベルが廃れないことと同じような理由なのかもしれません。いや、もちろんこじつけですけど。


【女のいない男たち】村上春樹(文藝春秋)

村上春樹の新刊ですね。いかにも春樹風の、中年の恋愛もの短篇集です。まえがきなどにだらだらと作品の作成経緯などを書くところも春樹流。
悪くはないんですけど、「さすが村上春樹!」とか「春樹でなくっちゃ!」と思わせるものには乏しいです。読者は贅沢なんです。


【漁港の肉子ちゃん】西加奈子(幻冬舎文庫)

最後に、7月の読書でのイチオシを紹介しましょう。
小学校高学年のキクりんこと喜久子の母親は、名前も同じ菊子(字が違う)だが、その風貌(不細工で太っている)から「肉子」と呼ばれている。そう呼ばれても、「肉子」はとても嬉しそう。そんなにブサイクなうえに、男にはホイホイとダマされる。借金を背負わされて必死で働かなければならないはめに、何度もなっている。それでも反省も公開もしない肉子ちゃん。多感な時期のキクりんには、そんな母親が時に疎ましくもあり、しかし心の底から大好きでもある。
流れ流れてたどり着いたとある漁港。そこにある焼肉屋で住み込みで(ということだろう)働くことになる。
海岸の三老人。変顔の二宮。フリフリ服のマリアちゃん。キクりんと肉子ちゃんを取り巻くいろんな人達の人間模様。
ありそうもないシチュエーションがあっても、なんでもかんでも笑い飛ばし、心のままにありのままに受け入れる肉子ちゃんの生き様に、きっと励まされることでしょう。

2014年7月29日火曜日

【メルトン先生の犯罪学演習】ヘンリ・セシル(大西尹明訳・創元推理文庫)

「晴耕雨読」というのは昔の話。今や晴れた日には外出禁止。エアコンを効かせた部屋でじっとしているのがいいらしいです。

それが理由でもないのですが、読書に励んでいます。まあ相変わらずといったところで。


大学で法律の講義をしているメルトン先生は、とにかく講義内容が面白くないことで有名です。教科書通りの話をとつとつと話すだけで、学生にはちっとも人気がありません(大学側には「きっちりとした授業をする」ということで評判がいい)。
ところがある日、うっかり駅のホームでつまづいて頭を強打。幸いかすり傷ですんだのですが、それからというもの、講義で何かを話しだすと、我知らず物語が心のなかから湧いてきて、授業とは関わりのない話を延々としだすようになってしまいます。

というわけで、法律のたとえ話の内容が、とても面白い物語になってしまって、学生たちには大うけになってしまうのですね。それが前半の短篇集。
その後、先生の話に触発された学生が書いた物語が続き、さらには「頭がおかしくなった」と思われて、病院送りになってしまった先生が、同室の患者さん相手にまたまた沸き上がってくる話、というのも続きます。

それぞれがよくできた、ひねりの効いた話です。まあちょっと古臭くはありますが。

ヘンリ・セシルという人、あまりよく知らないです。翻訳もちょっと古臭い。まあ「これでなければ」という物語でもないので、こんなものなのかなという気はしますね。

2014年7月17日木曜日

【深夜プラス1】ギャビン・ライアル(菊池光訳・ハヤカワ・ミステリ文庫)

ギャビン・ライアルが何者かも知らずに読んだのです。めったにハードボイルド物は読まないのですけれど。この「深夜プラス1」という題名がなんとなく魅力的に見えまして。この題名の意味は「午前0時1分」ということのようです。
元レジスタンスの探偵が引き受けた仕事は、ある実業家をオランダからリヒテンシュタインまで送り届けるということ。ただし彼は婦女暴行の容疑で指名手配されているらしい。その上リヒテンシュタインに行ってもらっては困るらしい同業者がいて、命の危険もある。
という話だったような(すでにうろ覚え)。
細かい点はともかく、警察の裏をかきつつ、どこからか狙っているかもしれない殺し屋からも身を守らなければならない。一人ではとても無理、なのだが、相棒に選ばれたのはアル中のスナイパー。どこまで信用できるのだか。
そういう人間関係の面白さもあり、さらに戦争(第二次大戦)直後の、元レジスタンス仲間との交流もあり(そのあたりはちょっと時代がかっているけれど)。そして何より、命を狙っているのが本当は誰なのか、最後までその正体が明かされないというところがミステリアス。その両方があってこそ、犯罪小説探偵小説(時代がかってますね)は生きてくるというものですね。

2014年7月6日日曜日

【介護入門】モブ・ノリオ(文藝春秋)

梅雨でジメジメ。何となく気分も重いですね。いかにも梅雨。空梅雨とか言われていたけれどね。どうもそうでもないらしい。各地で被害も出てるらしいです。気をつけないと。といっても相手は自然なので、手のうちようがないというところもありますが。

【介護入門】モブ・ノリオ(文藝春秋)
モブ・ノリオの芥川賞受賞作。自身の祖母の介護体験をもとに書かれたものらしい。ストーリーらしきものはあるようでないようで。介護している自分の心情を吐露している(それもかなり「現代的」な表現で)というところが新しいとされたのかも。
しかし、正直、こういう作品は読みにくいです。単語の(もっと言えば文字の)持っている印象(あるいは読者が感じる印象)がそのまま文字になってます。時々言葉の羅列でしかないのではないかというところがあり、そうなると読み手は一度自分の中で言葉を並べ直すか咀嚼し直すかして読み進めないといけないのですね。それはなかなかめんどくさい。
短い小説なのに、読むのに骨が折れました。
そして、こういう文章の方法は、別の作品に活かせるのだろうかという疑問もわきます。別のテーマで同じ方法を使っても、同じような印象にしかならないのではないか。つまり物語の内容まで踏み込んで感じることが難しくなるのではないかという危惧が生まれるわけです。
まあ、きちんとした読み手だと、そういう苦労はなんということもないのかもしれません。そう、賞の審査をする人達はきっといい読み手なんでしょう。

2014年7月1日火曜日

6月の読書

今年も半分が終わりました。月日の経つのは早いものです。
最近の世の中は、どうにも胡散臭いことが多すぎて、本を読むのも億劫になりがちです。天気も不安定ですしね。いろんなことが不安定なめぐり合わせになっているのかもしれませんね。

【青い眼がほしい】トニ・モリスン(大社淑子訳・早川書房)
ノーベル賞受賞作家トニ・モリスンの出世作、というか代表作ですね。黒人女性の過酷な運命。それを淡々と、しかし恐ろしく描いていますね。

【ハリスおばさんパリへ行く】ガリコ(亀山龍樹訳・講談社文庫)
【ハリスおばさんニューヨークへ行く】ガリコ(亀山龍樹訳・講談社文庫)
【ハリスおばさん国会へ行く】ガリコ(亀山龍樹訳・講談社文庫)
【ハリスおばさんモスクワへ行く】ガリコ(亀山龍樹・遠藤みえ子訳・講談社)
「ポール・ギャリコ」という名前のほうが馴染みがありますね。「ジェニィ」とか、懐かしいなあ。
ロンドンの通い女中のハリスおばさんの冒険。4冊のシリーズの中では、最初の「パリへ行く」がなんといっても面白い。「ニューヨークへ行く」は痛快だけれど、「国会」になると皮肉が効き過ぎかなという気がするし、「モスクワ」は、ウィットよりも冒険談そのものの方に重さがいき過ぎかなという気がする。

【スピンク日記】町田康(講談社文庫)
前に読んだのは猫の話でした。今回は犬。しかも視点が犬。写真で見る限り、かなり立派なプードル。いつもどおりの町田康。

【白いしるし】西加奈子(新潮文庫)
白い絵の具で描かれた富士山の絵に惹かれて、その作者に恋をしてしまう。しかしそれは成就しないことがわかっていたのだった。などという説明は、この物語の前ではなんとなく虚しく響くなあ。何しろ西加奈子ですから。読み始めはちょっと甘ったるい恋愛小説かなと思わせておいて、中盤でどかんという落とし所。そしていかにも西加奈子な終盤へ。この人はやっぱり、ひと味ちがう。

【愛の夢とか】川上未映子(講談社)
デビューの頃のエキセントリックな書きぶりはちょっとおとなしくなって、しかし作品の方向は相変わらず、読み手の思いをはぐらかし、挑発的で、安穏な考えを一蹴させてしまいます。久々にいいものを読んだ気分。

【寂寥郊野】吉目木晴彦(講談社)
芥川賞受賞作。農薬散布事業に失敗し、年金生活にも限界を感じたリチャードは再就職を試みる。妻の幸恵は、徐々に言動・行動がおかしくなってくる。その原因は散布事業の失敗のもととなった農薬散布に対する濡れ衣ではないかと思い始めるリチャード。
心の病を持ち始めた妻とその夫という構図に、異邦人としてコミュニティにどう溶けこむかという問題も絡め、短いけれど重厚な作品ですね。
もう一作の「うわさ」も、よくある団地問題ムラ的思考を告発する作品かと思ったら、ラストにはゾクッとさせられるし。なかなか。

2014年6月4日水曜日

【Kindle本】梶井基次郎

晴耕雨読。というよりも、晴れてても雨でも読書。といったところ。
この頃はキンドル・ペーパーホワイトを持ち歩き、電車でも会社でも(もちろん休憩時間ですぞ)開いて読んでいます。周りが少々暗くても、つまり周りの環境に左右されずに読書できるという点で、外出先で読むのに適していますね。それになんといっても「軽い」です。測ってみたら、新書と同じくらいの重さしかありません。それで長編小説などが入っているわけですから。
というわけで、ともかくアマゾンの無料本をちょくちょくとダウンロードしては読んでいます。
わざわざ図書館で借りたりはしないけれど、有名ドコロだからどんな話か読んでみよう、という作家ならちょうどいいですね。著作権も切れているらしいし。

で、とにかくせっせとダウンロードしたのが梶井基次郎。
日本史の、文学史で名前は出てくるけれど、そして「檸檬」は有名だけれど、その他の作品はどんなものなのか。生涯が短かったし、作品も短編しか残されていない。まとめて読むにはちょうどいいかも。

というわけで、初めて読みました。自分の心情を吐露するばかりの私小説。太宰治的だけれど、もっと粘着質。なるほど、こういう話を書いていたのか。ちょっとインテリ臭さがあるけれど、常人の感覚を超えた感覚というものがあるみたいで、こういうの好きですね。

梶井基次郎:
【闇の書】【奎吉】【筧の話】【川端康成第四短篇集「心中」を主題とせるヴァリエイション】【矛盾のような真実】【海】【ある心の風景】【橡の花】【路上】【Kの昇天】【温泉】【泥濘】【冬の蠅】【交尾】【冬の日】【過古】【雪後】【蒼穹】【城のある町にて】


引き続いて、夏目漱石をまとめて読書中です。Kindleだと「あと何ページかな」などと考えずに読むことになって、これがわたくしには結構よろしい。長い小説が、本だとその分厚さを見て、あとどれくらい読まないといけないな、と思ってしまうので。まあKindleでも画面の端っこに「読み終わるまで●●分」と表示されるのですが。

2014年6月2日月曜日

5月の読書

もうほとんどマンスリーになってしまいました。最近暑くて書きこみする気力も失われがち。まあ何とか生きて、本文読んでます。そこそこ。

【ランチのアッコちゃん】柚木麻子(双葉社)
 女子OLの自分探し小説。ちょっとドラマっぽい。それも最近の。というわけで、それが好きか嫌いかで、この小説も好きか嫌いかが分かれそう。わたくしは。。。もうちょっと変わった話のほうが好きです。

【おはなしして子ちゃん】藤野可織(講談社)
 「爪と目」以外は、まあまあかなと思っていたこの作家。どうしてどうして。なかなか面白いものを書くじゃあありませんか。ちょっと気持ち悪いというか、ぞっとするような内容もあって、こういうの好きです。(好き嫌いがはっきりしています。はい)

【縮みゆく男】リチャード・マシスン(本間有訳・扶桑社)
 古典的SF。毎日数インチずつ小さくなっていく男の話。単純なホラーかと思いきや、社会の病質や人間の弱さ(強さも)を描き、ラストはどこか宗教的な色合いさえある。

【聞く力-心をひらく35のヒント】阿川佐和子(文春新書)
 ベストセラーになりましたな。話の内容もさることながら、この人の語り口は絶妙。面白がらせてためになる。ベストセラーになるのも納得。聞く力は、わたくしには役に立ちそうもありませんが、中身の面白さは抜群です。

【アグリーガール】ジョイス・キャロル・オーツ(神戸万知訳・理論社)
 キャロル・オーツのヤングアダルトもの。原題は「アグリーガールとビッグマウス」。いつも面白おかしい話ばかりしている少年が、そのジョークのおかげで窮地に立たされる。そうすると、いままでそのジョークで楽しんでいたはずの周りの人間から疎ましがられてしまう。そこで味方になってくれたのは、普段はほとんど話しもしたことのないクラスメート「アグリーガール」。青春モノだけれど、どこかに社会の矛盾を厳しく問いただしているようにみえるのは、やはりキャロル・オーツだからか。

【吸血鬼カーミラ】レ・ファニュ(平井呈一訳・創元推理文庫)
 超古典ホラー。吸血鬼モノの元祖と言われる表題作をはじめとする短篇集。あからさまに「怖い」というのではなく、なんとなく「ぞっとする感じ」。ただ、この翻訳は古臭くて話にならない。それを我慢して読むこと。

【ポースケ】津村記久子(中央公論社)
 五位堂ですか。ローカルですね。自分探し、に近いんだけど。

【タイム・マシン他九篇】H.G.ウェルズ(橋本槇矩訳・岩波文庫)
【モロー博士の島他九篇】H.G.ウェルズ(橋本槇矩・鈴木万里訳・岩波文庫)
 SF古典。最近のマイブームです。どれも素晴らしい、という訳にはいかないですね、さすがに。今読むと「なんと古臭い!」と思わず言ってしまいそう。それでも精一杯の「科学的根拠を持った小説」にしようとする試みは読み取れます。まさに古典。

【ライトノベル創作教室】ライトノベル作法研究所(秀和システム)
 ライトノベルの書き方のコツ。なんだけど。同時に「ライトノベルの構造論」になっているところが面白かった。どういう具合にできているのか、がよく分かる。ライトノベルの「読み方」の参考にもなるかも。でも、「もういいか」という気にもなるから、注意。

【何者】朝井リョウ(新潮社)
 直木賞受賞作。就活する学生たちの奮闘。悩み、苦しみ、迷いながら、自分がなりたい「何者」かを探す日々。ああ、青春ですなあ。とはいっても、わたくし「就活」というものをほとんどしたことがないので、実感というか、共感はあまりできませんでした。でもいろんなことに悩んでいた学生時代のことは、ちょっと思い出しましたよ。就活をしていないわたくしにもそういう感情を呼び起こさせるくらいによくできた作品、ということなんでしょう。ああ、甘酸っぱいですなあ。

2014年5月2日金曜日

4月の読書

あっという間に5月になってしまいました。
備忘録を兼ねて、4月に読んだ本、一挙公開です。憶えている限りで、どんな話だったかも。

【透明人間】H.G.ウェルズ(橋本槇矩訳・岩波文庫)
 意外に新しい視点。透明になったら、いろいろ困ることが出てきてしまうのですね。ずっと裸でいるわけにもいかないし。

【ゾウの鼻が長いわけ】ラドヤード・キプリング(藤松玲子訳・岩波少年文庫)
 話の内容は、ちょっと古臭いです。でもキプリングの挿絵は、じっくり見る価値あり。

【新釈 走れメロス 他四篇】森見登美彦(祥伝社文庫)
 森見登美彦、快調です。ただのパロディ編と思いきや、さにあらず。面白うて、さらに奥深い。それぞれが独立しているようで、つながっているというのも。

【ドゥームズデイ・ブック】コニー・ウィリス(大森望訳・ハヤカワ文庫)
 時間旅行が可能になって、研究のために13世紀の世界に送り込まれた研究生。しかし送り込まれた先では思いもよらなかった疫病が大発生。さらに現在社会でもパンデミック! 始めの方はだらだらしていたけれど、後半になって一気に物語が加速。しかし、長い!

【たんぽぽ娘】ロバート・E・ヤング(伊藤典夫編・河出書房新社)
 心温まるSF短篇集。

【コップとコッペパンとペン】福永信(河出書房新社)
 正直、よおわかりません。

【生ける屍】ジョイス・キャロル・オーツ(井伊順彦訳・扶桑社文庫)
 自分の思いどおりになる「ゾンビ」を作ろうと「実験」を繰り返す青年の告白。淡々とした「研究日誌」的な展開が恐ろしい。

【睡眠のはなし】内山真(岩波新書)
 色々勉強になります。無理に寝なくても大丈夫みたい。

【天才】宮城音弥(岩波新書)
 かなり古い著作。天才が、「普通の人」とどれくらい違っているかを、幾人かの「天才」を例にとって解説。それを一般論にするには無理があると思うんですけど。何のために書いたのやら。

【昨夜のカレー、明日のパン】木皿泉(河出書房新社)
 ギフ(義父)と私の暮らし。家庭小説短篇集かと思ったら、それぞれの物語がとても濃く結びついていて、ラストでぐっとくる(かも)。

【ダブリンの市民】ジェイムス・ジョイス(結城英雄訳・岩波文庫)
 「ユリシーズ」よりずっと読みやすい(当たり前か)。何が起こるでもないのだけれど、どこか心に引っかかる。そうそう、こんな話を聞いたことがあるよなあ、と思うけれど、多分聞いたことのない話ばっかりなんだろう。そこがすごいかも。

【二つ、三ついいわすれたこと】ジョイス・キャロル・オーツ(神戸万知訳・岩波書店)
 オーツのヤング・アダルトもの。いつも「完璧」だと思われているメリッサ。ちょっと思い込みの激しいナディア。子役スターだったティンク。3人の友情と陰の物語。型にはめて物事を見てしまう、私達大人の視点もちくりと。

【平成マシンガンズ】三並夏(河出書房新社)
 痛快、爽快。15歳にして書いた青春物語。やや硬いかなという表現までもが若さの発露に見えてしまう。先入観にやられたか。面白かったけど。

【LIFE PACKING】高城剛(晋遊舎)
 ミニマリストのお手本になりそうな本。ここまではできないだろうけど。「ムダを省く」ことの楽しさが詰まっている。

【続娘の学校】なだいなだ(中公文庫)
【クレージイ・ドクターの回想】なだいなだ(文春文庫)
 なだいなだは面白いです。いかに普段、私達が「一つの視点に凝り固まっているか」を教えてくれます。それも楽しく。古い本なのに新しい。

【ヘンリエッタ】中山咲(河出書房新社)
 最初は「ヘンリエッタ」ってなんのこと? と思ったよ。それぞれの事情で同居する3人の女性。一番若い(高校生?)の主人公の視点で語られる物語は、暖かいけれど、どこか寂しかったりするのだな。でも「こんな生き方でもええんちゃうの」と応援したくなるのであります。

【猫のよびごえ】町田康(講談社)
 町田康がここまで猫好きとは。

【コルセット】姫野カオルコ(新潮文庫)
 官能小説。

【もう私のことはわからないのだけれど】姫野カオルコ(日経BP)
 介護小説。
 姫野カオルコは、一筋縄ではいかないようです。もっと読んでみたくなりますね。

【パトロネ】藤野可織(集英社文庫)
 芥川賞作家の作品集。現実世界から突如、わけの分からない世界に入ってしまうのです。境目がはっきりしないのは、好き嫌いがあるかもしれませんね。わたくしは、好きですが。

2014年4月28日月曜日

Kindle WhitePaper 買うてもおた(^^)

ずいぶんのご無沙汰でした。前回書き込みが4月8日ということなので、ほぼ3週間ぶりになりますね。ちょっと忙しくなるとすぐに滞ってしまうのですね。前に「できるだけ毎日書くようにします」なんて書いていたと思うのですが。不言実行の真逆をいっていますね。我ながら情けない。

書きためている(読みためている)本の感想文はあとまわしにして、表題について。
アマゾンで2,000ポイントキャンペーンのようなものをやっていて(らしい。詳しくはぶたこが知っている)、Kindleホワイトペーパーも安くなっているよと教えられ、ではこの際だからと買ってしまったのでした。

届いたのが水曜日だから、もう5日経っていますね。
早速、アマゾンの無料本を購入(こういうのも購入というのか)。ちなみに、ぶたこもすでに何冊か購入していて、同じIDを使うことにしたので、ぶたこが購入した本も読むことができるのですね。
今日までに読んだのは、小栗虫太郎「人外魔境01有尾人」、梶井基次郎「檸檬」「櫻の樹の下には」、森鴎外「舞姫」、折口信夫「死者の書」

実際に使ってみての感想ですが、いやあ快適です。なんといっても「どこでも読める」。周りの環境にあまり左右されないというのがいいですね。普通の本なら、ある程度の明るさが必要で、昼間でも電灯を点けないと読めないことがあるんですけど、Kindleはバックライトなのでその心配は一切なし。明るさの調整もできるようなのですが、わたくしにはデフォルトの状態がちょうどいいですね。
大きさ、重さも、まずまず。というか、これでぴったりという気がします。これより小さいと文字の大きさ(1ページに収まる文字数も含めて)が気になるでしょう。重さは、同じ大きさの単行本より軽いぐらい。

まあ、白黒で、画面の愛想はないとも言えますが、ただ本を読むだけだったらこれくらいスッキリしていたほうがいいですね。余計な機能がない分、使いやすいわかりやすいといこともありますし。

さて、引き続いて無料本を何冊か入れて持ち歩こうと思っています。
あ、一つだけ解決していないことが。。。。

どうやって持ち歩くか。
かばんからサッと出してサッと読む、というのがかっこいい使い方だと思うのですが(かっこよさの問題かい)、普段はバックパックで出かけることが多いのですね。そうするとどこに入れるか、どこに入れれば一番便利がいいか、使いやすいか、というのをちょっと考え中です。今のところ、新品で愛おしいので(^^ゞ、ハダカで持ち歩く気になれず、100円ショップの袋に入れてバックパックに、という風にしています。

2014年4月8日火曜日

【ほどほどにちっちゃい男の子とファクトトラッカーの秘密】ジェイソン・カーター・イートン(小林美幸訳・河出書房新社)

「ちっちゃい男の子」が主人公、ということで児童小説です。というより、ヤングアダルトかな。まあそんなジャンル分けはどっちでもいいことで。
ある町(名前を忘れた。すみません)では、あらゆることを「ファクトトラッカー」つまり「事実を捉える」人が握っている。恐ろしいように思えるけれど、この人はそんなに悪者でもない。ただ「事実」「真実」にこだわりすぎ。そしてありとあらゆる真実を、街の皆さんに提供する。だがあらゆることを街の皆さんが聞いてくるのに閉口して、ついに「自動で真実を答える」装置を発明する。ところがそれを起動しようとした時、嘘ばかりをつく男が現れて、町中を混乱させ、ついにファクトトラッカーも捉えられ、町は嘘ばかりになってしまう。さて、ここに「ほどほどにちっしゃい男の子」登場。彼は自分の「真実」が知りたいのだが、ファクトトラッカーは囚われの身。さあ、男の子は町の危機を救うことができるでしょうか?

あくまでも軽い語り口(翻訳の妙もあるのでしょうが)で、まるでロアルド・ダールのようなファンタジーが繰り広げられます。
もちろん最後はめでたしめでたし、なんですけど、「善」が勝ち「悪」が滅びる、という単純な図式になっていないところが気に入ってます。
かなり教訓的な話だと思うのだけれど(内容も深いし)、教訓臭さがあまりないですね。こういう話が書ける日本人作家はいるでしょうか?

【爪と目】藤野可織(新潮社)

芥川賞を受賞した表題作他の短篇集ですね。
表題作は、どうやらわがままな継母(かなり若いらしい)との幼児体験を語るわたし、というもの。父を実母から引き離し(たぶん)、妻となった後も浮気を繰り返す継母を嫌悪しながら、どこかにシンパシーを感じている、というところが、実際の行動よりも恐ろしい気がしました。そんな読み方をするのはわたくしだけでしょうが。わたくしが男だから、その恐ろしさが際立って見えるのかも。女性が読むと「なんじゃこら」ということになるのかもしれませんね。(ウェブにはかなり辛辣な書評もあります)
で、この作家がなかなかの力量かなと思ったのですが、他の2篇はどうにも普通の小説過ぎて肩透かしを食らった感じ。まあこれから「爪と目」を基板として育っていく、ということなのかもしれませんが。

それにしても、短いですね。本も薄いです。これで1200円もするのかあ、と。

2014年4月6日日曜日

【四畳半神話大系】森見登美彦(太田出版)

いつもどおりの京都の学生話。いつもどおりの奇想天外な展開。しかし私はハマっています。
村上春樹を読んだあとでは、さらに面白さ倍増であります。間違いなく。

鴨川幽水荘(だったかな)で暮らす主人公。いつもどおり、とても情けない学生生活。その一端を、4つの物語で話します。
同じフレーズの繰り返し、同じシチュエーションの、視点が変わっての繰り返しの面白さ。まるで落語のようでもあり、よくできた芝居のようでもあり。それ以上に物語の構成力の高さに驚きますね。

いつもどおりのキャラクターたちの大騒動、なんだけど、楽しませてくれます。

【アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること】ネイサン・イングランダー(小竹由美子訳・新潮社)

3月の読書の総ざらえ。を目論んでいます。

アンネフランクの本がいろいろ傷つけられたという話は悲しかったです。どうやら犯人も捕まったようでひと安心ですが。

ネイサン・イングランダーという人についてはよく知らなかったんですが、題名が面白そうなので読んでみたのです。これは、例の事件が起こる前に借りたのですけど。

題名から想像できるように、著者はユダヤ人で、そのアデンティティについて考えさせられる物語がいくつか連ねられています。
ただ、単純に題名から想像できるような暗い歴史とかいうことだけでなく、時にユーモアもあり、まあもちろん考えさせられることもあり、という内容ですね。

実はもうだいぶ前に読んだので、それくらいの印象しか残っていないのです。
ひとこと言えることは、この作家は多分、自分がユダヤ人であることに誇りとか大切なことという考えはなく、ただそれを受け入れ、さてどうしたものかということを書いているということ、だと思いますね。大した感想じゃなくていけませんね。
やっぱり、読んですぐに感想を書かないと。

2014年4月2日水曜日

【ユリシーズ】ジェイムズ・ジョイス

はい。とうとうというか、やっとというか、ついにというか。読みましたよ。「ユリシーズ」
ぶたこに「どういう話やのん?」と聞かれたけれど、ヒトコトでは説明しにくいです。というか、一言で言うと、
「レオポルド・ブルームというやつが、その友達のスティーブン・ディーダラスと、ダブリンの街を過ごすある一日の話」
ということなんですけどね。
特にこれ、といった事件が起こるわけでもありませんし。

18の章に分かれていて(それぞれなぜか「挿話」と呼ばれる)、それぞれに(文学上の)実験が試みられているのですね。
特に後半になると、物語の中で文体が古いものから順番に新しいものに変わっていくとか、戯曲の形式になるだとか。極めつけは最終挿話(ペネロープ)で、日本語訳では句読点が一切ないのですね。丸谷才一訳の河出書房新社版では、感じもなくすべてがひらがなという徹底ぶり。

あ、そうそう、訳本は、丸谷才一他訳の集英社版と河出書房新社版、それから伊藤整訳の新潮社版と、色々読んでみました。この場面はこっち、この挿話はこっち、とかいうふうにね。読みやすいのを探すつもりでそうしたんですけど、どれも読みやすくはなかったです、結局は。

肝心の話の内容は、面白いんだかどうなんだか、というところです。反宗教的な内容が盛り沢山だし、下ネタも盛りだくさん。英語本文で読んだら、もっと面白いことがわかるんでしょうけど、面白さを理解するためには、半端じゃない英文能力が要るようです。

で、それを(無理矢理に)日本語に訳したわけですから、訳しきれなかったところがあったに違いありません。それは想像するしかないわけですが。

逆を考えて見ればわかりますよね。日本語を英文には、完全には訳せないわけですから。
「その手は桑名の焼き蛤」とか「恐れ入谷の鬼子母神」とかいうのを英語に訳せ、といっても、まあそのまま翻訳することができるでしょうけれど、本来の言い回しの面白さはとても伝わらないわけで。

で、どうやらこの「ユリシーズ」の面白さは、そういう英語表現の面白さにあるらしい、という「らしい」しかわかりませんでした。想像の世界ですね。

これを読んで人生が変わるとか、文学の奥深さを感じるとかいうことは、あるのかなあ。あるとしたら、文学の表現方法の可能性、というところでしょうかねえ。とはいえ、句読点のない文章を改めて書いてみようと思う作家はいないと思いますが。こういうのは「コロンブスの卵」で、最初にやった人が偉いのですね。そして、それに続く人が出てくるかというと、そういうわけにはいかない。発想は面白いけれど、発展性はないかなあ。

それでも「ユリシーズを読んだ!」と、人に自慢はできそうです。それが自慢になるかどうかは別ですが。
そして、これから読もうとする人にアドバイスを送るとしたら?

別にこれを読まなくても、後悔することはないと思うよ、と言いたいですね。

2014年3月30日日曜日

フィギュアスケート

いつの間にか3月も終わり近くになってしまいました。時の経つのは早いものです。なんて、年末のような物言いですが、年度末、ということは事実なので許してもらいましょう。
フィギュアスケートも世界選手権で一段落。入れ替わりにプロ野球のペナントレースも始まって、この週末はやや慌ただしいというか、いつも以上にいろんなことに気が回りません。これも許してもらいましょう。

オリンピックチャンピオンがあまり揃わない、ということでどれくらい盛り上がるかなと思われた世界選手権ですが、いやいや、もう連日涙涙で見ておりました。
(といっても、放送は男子・女子のシングルだけ。それも後半グルームのみ。いつかペアとかダンスも含めて放送してくれるのだろうか。気になる選手の気になる演技もいっぱいあるのだけれど)

町田樹選手。惜しかったなあ。ほんのちょっとの差、ですね。しかし、去年までほぼ無名に近かった(世界で)選手がここまで来たのには感動します。人間、努力次第なのだなと。
アボットのフリーには涙涙。
ベルネルの演技には、ついつい応援してしまう(入り込んでいくわたくし)
羽生結弦選手。痛し痒しというか、嬉し恥ずかしというか。何と言ったかなあ(ボキャブラリのなさに自分ながら驚く)。ともかく、本人も納得がいったのかどうなのか。という金メダルだったのでは。ま、これで、更に次の目標もできたかも。
小塚崇彦選手。ものすごく良かった、けど点数が。。。というのはあるなあ。ただ、自分の目指すべきはどこかというのを見つけたような気もするし。まだ続けてくれそうだから、来季以降に期待しよう。大いに。

女子。浅田真央選手。どうしても回転不足を取られるのだねえ。トリプルアクセル。もう、ええんちゃうのん、と思うけど。ショートでは加点、でもフリーでは回転不足。それでも金メダルはすごいと思うけど。
鈴木選手。ほんまにここまで続けてくれてありがとう、という気持ちです。点数とか順位とかとは関係なく、感動する演技というものがあるのですね。
村上選手。どうも「雑さ」が気になるのですね。特にこれだけきれいな滑りをする人たちの中に入ってしまうと。ジャンプの前の体制とか、つなぎの滑りとかね。まだまだ。
グレイシー・ゴールドは、間違いなくこれから世界のトップを争っていくでしょうね。ひょっとしたらコストナーの跡を継げるかも、というくらい綺麗に滑れると思うのですが、どうでしょう。それも、ここ1年ぐらいでグッと伸びた、という印象があるので余計にそう思うのですが。
そのコストナー。フリーで少々ミスをしても高得点。いや、滑り出しの1回のターンだけで思わず「ひえ~~っ」と声を上げてしまいましたよ、確かに。深い深いエッジを使ったステップは、世界最高。ここまで出来る人は他にはいない。

日本の観客は素晴らしいですね。どこかの五輪とは全く違って、自国の連呼もなく、素晴らしい演技には隔たりなくスタンディング・オベーション。ジャンプに失敗しても、拍手で応援。ステップでは(難しいリズムでも)手拍子で応援。観客にも拍手したいです。

唯一、どうにもつまらないのがテレビ中継陣。特に女子の実況は(何度も言うけど)なんとかしてほしい。演技中は、いっそ無言でいてほしいくらいなのに。あと、最後の最後の、浅田真央選手へのインタビューも、どうだったのか。終わったばかりの選手に、今後はどうするのかとしつこく聞いてどうするの? 優勝の余韻も吹き飛んでしまう。インタビュアーの責任じゃなく、TV局の方針・体質なのだろうけれど。

2014年3月21日金曜日

【インスタントラーメン】おいしい召し上がり方?

「火を止めるまぎわに」とか「すばやく丼に移して」など、なかなかやっかいです。


2014年3月19日水曜日

【色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年】村上春樹(文藝春秋)

この月は前月にひき続いて、あまり読書が進んでいません。あれをちょっとこれをちょっと、といろんな本に興味が惹かれて、途中まで読んでほったらかしという本が少なくありません。ちょっとでも「読了!」というところまで行かないと。

でもね。つまらない本だったら(それが途中でも、つまらなかったら)最後まで読む必要もないのだという思いもあるのですね。つまらない本を読む時間があったら、面白い本を読みたい。こんなしょうもない話を最後まで読んでどうなるんだ、という気もするわけ。でも最後まで読まないと、本当につまらないかどうかもわからないしなあ。。。などとも思うわけです。

サマセット・モームは、「読書案内」のなかで、「つまらないところは飛ばして読めばよいのである」と書いています。しかし「サミング・アップ」では、「わたしは本を飛ばし飛ばしに読むということも、途中で読むのを終わることもできない」とも告白しています。おそらく両方の気持ちがあったのでしょうね。その気持、わかりますね。

で、村上春樹ですが。出版された時は即ベストセラー。内容よりも「村上春樹が書いた」ということだけで売れるのですね。きっと。それが悪いとは言いませんよ。ある程度の面白さ楽しさは約束されているのだろうと期待する人の気持ちはわかります。

で、実際に読んでみるとね。これが、ちょっと面白くないのですね。
いや、個人的な感想なので許してほしいのですが。文章の表現がどうも馴染めない。まるで下手な英文翻訳を読んでいるような気分になってきます。それが地の文だけでなく、会話文にも及んでいるので大変始末に悪いです。
おかげで物語全体の現実感が薄れてしまっています。

題名だけ見ると、色覚障害を持つ主人公が出てくるのかと思いますが、そうではありません。つくるくん以外の人は、なぜか名前に色が付いているのですね。赤松だとか青海だとか。で、自分だけ名前に色がない。
高校時代のボランティア仲間4人とも名前色が付いている。まあそれはそれとして。高校を卒業してつくるだけが東京の大学に行く(ほかは地元:名古屋に残る)。あるとき他の4人から突然絶縁されてしまうのですね。そしてつくるは死ぬことだけを考え始めます。

なぜ4人は突然つくるをつまはじきにしたのか。つくるはどうやって死の誘惑を乗り越えるのか、とかが物語の中心になってそうなんですけど。

ううむ。やはり文章の堅苦しさというか、難しさが面白さを阻害しているような気がしてなりません。これ、本人は意識して書いているのだろうか。言葉のありようをどれほど考えているのかなあ。
多和田葉子を読んだあとなので、余計にそんなことを考えてしまいました。

【50歳からラクになる-人生の断捨離】やましたひでこ(祥伝社)

「断捨離」という言葉がひとり歩きしている、ということを著者が嘆いている、と前に書きました。ただの整理術として捉えられているけれど、本当は生き方の指針なのだと。
なるほど。ならば、この本が出てきてもおかしくないわけですね。

有名になった「断捨離」に比べると、実際的な方法というよりも、もっと精神面を強調していますね。
しかしその割には、前作(前作ではないのだけれど)でやや強調されていた、
「断捨離すると、自立できる」とか「断捨離すると、痩せられる」とか「断捨離すると、離婚できる(^。^;)」
とかいう話は、ちょっと引っ込んでます。
それよりも、「あなた、これからどう生きますか」と聞かれているみたい。
だから、「50代こそ断捨離に踏み切れる時!」と言えるんでしょうね。

まあ、こんな本が必要ない人生もありだと思いますけどね。
ただ、ミニマリストという生き方もあるようなので、個人的には気になるところです。
そして、ちょっとだけ、無駄のない人生を生きようかな、と思い始めています。もう50も越えてだいぶ時間が経ってしまっていますが。

2014年3月11日火曜日

【ホテルローヤル】桜木紫乃(集英社)

今年も3月11日がやってきますね。テレビを始めとするメディアが、ほうぼうで取り上げるので、わたくしごときが何かを言うことではありません。

桜木紫乃の直木賞受賞作。北海道釧路のラブホテルを舞台とした物語。連作短編集といったものなのだけれど、時間軸が逆になっているのがミソ。廃墟となったラブホテルで恋人のヌード写真を撮ることで自分を取り戻そうとする男の話に始まり(いや、視点はモデルとなる恋人の方なんだけど。そしてなんだかこの男、大丈夫かと思ってしまう)、ホテルを建てることに意欲を燃やす男の話で終わる(だったと思う)。

それぞれの物語が、一貫性があるようで味わいが違うのも面白いです。ちょっと薄味かなあという気もしますけどね。

2014年3月8日土曜日

新書3題

佐村河内氏の記者会見は、ウソをついたことを前提としたものだから、そこから先の言い訳じみた話は全く信用ならないものだと思いました。キダ・タロー氏が、佐村河内氏が「詳細な設計図を書いた」ということについて、
「例えばコマーシャルの音楽などで、ネズミが出てきた:5秒、猫が出てきた:10秒という指示があるのと大差ない。その指示で音楽を作っても、作曲者は私です。自分が作曲したという監督は一人もいない」
さらに、
「「音にした」という言い方は、失礼な言い方。音楽のことを何もわかっていない」
「ペテン師と優秀な作曲家がグルになったらこうなるということ」
はっきりとした説明がわかりやすい。

時々、小説のファンタジーな世界じゃなくて、現実を捉えたくて新書を読むときはあります。
【「私はうつ」と言いたがる人たち】香山リカ(PHP新書)
【言葉と歩く日記】多和田葉子(岩波新書)
【知の逆転】吉成真由美・編(NHK出版新書)
あ、でも2冊めは小説(文学)についての話だなあ。

香山リカによると、どうやらわたくしはうつではないようです。憂鬱な気分になるのは誰しもあること。それと、だれでも鬱病にはなるということ。
うつに対する理解が広がるとともに、誤解も広がっているようです。確かにわたくしも誤解していたところがありますね。「こんな人が鬱になりやすい」とかいうことはなく、誰しもなる可能性があるということですね。そして社会がうつに理解を持ち始めて、逆にそれに甘えてしまう事例もあるのだとか。
なんにせよ、専門家でも苦慮している病気の判断と対応を、素人があれこれ判断するのはよくない、ということでしょうね。どの病気でも同じですが。

多和田葉子は、以前にも書いたように、早くノーベル文学賞をとってスッキリしてもらいたい作家です。ウェブの書評では、ただバイリンガルをいきがっている小説家という書き込みもありましたが、そうは思いませんね。日本語とドイツ語、あるいは多言語について、その表現の違いについて、そしてそこから導き出される文化の違いについて、とても深い考えと興味を持っているのだと思います。
これは日記の体裁をとったエッセイというべきものなんですけど、上に書いたようなことをテーマに書こうとすると逆に言葉に詰まってしまう、というところから、日記のようにして気がついたことだけを書いていく、というスタイルになったようです。それでも「気がついたこと」の気のつき方がとても面白いので、言葉についてのとても面白いエッセイになっていますね。繰り返し読んでみたい、と思いました。

「知の逆転」は、NHKで放送もしていました。映像を見た人には新しいものはないかもしれませんね。それに映像だと文字では伝わらないことも伝わりますし。逆に文字になると、時間軸で流れていく映像とは違って、反芻(読み直し)することができますね。どちらにも価値はあるでしょう。
本の内容から外れました。現代という時代の最先端を歩んでいる知識人に、現代社会のあり方を問う、というスタンスなのでしょうが。6人の「知の天才」に話を聞いています。
『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド、生成文法理論で言語学・哲学にパラダイムシフトを起こしたノーム・チョムスキー、映画にもなった『レナードの朝』の著者・神経学者のオリバー・サックス、人工知能の父と称されるマービン・ミンスキー、アカマイ創業者・数学者のトム・レイトン、そしてDNAの二重らせん構造を明らかにしたノーベル賞受賞者のジェームズ・ワトソン。
(すみません、めんどくさいのでアマゾンからコピーしました)
それぞれ面白い話ばっかりだったんですけど。同じテーマで話を聞いているわけではないので、たとえばトム・レイトンの話などはアカマイの業績秘話以上のものはちょっとしかないという感じになったりしています。
もちろん、こういう人たちの成し遂げたことは素晴らしいことだし、その語る言葉から何かを得ようと思えば、たくさんのものが得られると思いますけどね。

2014年3月5日水曜日

【不要家族】土屋賢二(文春文庫)

落ち込んだ時ややるせない時、不満がたまった時には土屋教授(いまは名誉教授らしい)です。不満があっても大丈夫。だからどうした。それがどうした。どうしたって変わらないよ、という諦観もあるようで、だから力を抜いていこうということ。こんな自分でいいのかなあと思った時に読むと、こんな自分でいいのだと思うし、こんな自分でも大丈夫なのだなと思うのだな。楽しいです。
まあ、ワンパターンである、とも言えますが。

2014年3月4日火曜日

【ビブリア古書堂の事件手帖5-栞子さんと繋がりの時】三上延(メディアワークス文庫)

気がつけばもう3月。月日の経つのは早いものだ。特に2月の終わり頃はオリンピックオリンピックで夜も寝られず昼もぼおっとした毎日だったので、ただでさえ短い月がいつも以上に短く感じられた。本当に、あっという間の出来事。夢の中の夢の様な時間でした。

「ビブリア古書堂」シリーズも5巻目。前巻は江戸川乱歩特集でしたが、今回はもっとマニアックになっています。とはいえ、「へえ~」と思うポイントが、マニアックというよりオタクに近くなってきているようで、いよいよネタが尽きてきたのかなと思わせるところもありますね(正直言って、手塚治虫まで出てくるとは、と思いました)。ぼちぼちラストが見えてきたのかも。それは店員(であり物語の語り手でもある)五浦と栞子さんとの関係にも表れてきていますね。詳しくは本編をどうそ。

それから。物語のサスペンス調というか、トリックというか、そういうミステリーな部分が、ややぬるくなってきているようにも思えます。これは主人公二人の行動に焦点が移ってきているのでそう感じるだけかもしれないですが。二重三重のどんでん返しのようなものがちょっとぬるくなってきているような。いや、面白いのは面白いんですけどね。それと、ここまで来たらラストまで読んでしまいたいという思いもありますし。

2014年2月25日火曜日

【ユリシーズ(1~3)(4~6)(12キュクロープス挿話)】ジェイムズ・ジョイス(柳瀬尚紀訳・河出書房新社)

今年の目標(読書)は、ユリシーズを読むことと、プルーストを読むことです。1年の間にこの2作品を読破できれば、いうことはないですね。どう言うことがないのかは微妙なところですが、ともかくも「みんな知ってるけれど読みこなすのは難しい難解な作品」で、「20世紀に生まれた最高傑作」で、ということになると、ともかく読み終えたら何かが見えるのではないかという期待が大きいです。期待しすぎるのも良くないでしょうが。
さて、「ユリシーズ」はどういう話かというと、一言ではうまく言えません。おそらく百言を尽くしても言えないでしょう。この無知なる一読者では。話の概要は、ダブリンでのある一日を、スティーブン・ディーダラスという人と、レオポルド・ブルームという人を中心に、事細かに描いて、しかも文体としては英語の持つ可能性をとことん追求して書かれている、ということぐらいしかわかりません。有名なのは最終章の「ペネローペ」で、翻訳されたものは数十ページにわたって句読点がひとつもない文章になっているということですね。それってでも、本編の内容とは関係無いですな。ともかくそういう文体を駆使して「意識の流れ」の手法を追求したエポックメイキングな作品、という触れ込みになっています。
ここまで書いてきて、さて何が言いたいのかはよくわからないでしょう。わたくしにもよく分かりません。ともかく「読んでみなければわからない」ということですね。はい。

翻訳は何種類かされていて、有名なのは丸谷才一氏が中心となった訳ですね。こちらも平行して読んでみました。というか、今読んでいる途中ですね。やたらと注釈が多い翻訳で、それもしかたがないと思わせるほど、文章が込み入っているんですね。ある一つの文が何かを象徴していたり、掛詞だったり言葉遊びだったり、突然語り手が変わったりだとか。
で、柳瀬尚紀氏訳は、注釈が一切ありません。それどころか、まえがきもあとがきもなく、本のカバーにちょっとだけ今までの翻訳とどう違うかということが触れてあるだけ。あとは翻訳で楽しんでもらいましょう、という意気込みが感じられます。そしてある程度、成功しているといえるんでしょうね。まあ、原文がどんなのだかわかないから、無責任に褒めるのもどうかと思いますが。

そして、柳瀬尚紀訳の方は、「ユリシーズ」のうちの一部分しか翻訳・出版されていないのですね。前半の6章と、何故か途中の12章のみ(18章まである。翻訳された部分はとても短い)。
で、この(全部合わせて)7章を読んだだけで、どうなのかというと、まあよく分かりません。そこで丸谷才一訳も並行して読もうとしたのですが、これもまたよく分かりません。朝、ディーダラス氏が起きました。ブルーム氏も出かけました。友達の葬儀に。そして酒場に行きました。途中でいろんな人に会いました。色んな話をしました。はい、おしまい。そんな感じです。
読みようによっては、その場に居るような気分になるのでしょうね。それが「意識の流れ」のキモではないかと、勝手に思っているのですが。なんともへんてこりんな読み物を書いたものです。この発想が突き抜けていますね、どこか。

ともかくも、この断章だけでは物語の一旦というか、作品のほんの一部分にしか触れられないので、全体を読んでみたいと思っています。丸谷才一ほか訳(集英社版)は、ようやく14挿話まで読んだところ。ちょっと一休みします。いや、本当はだらだらとしかし一気に読むのがいいのかもしれませんね。なにしろこの長編は1日分のことしか書いてないんですから。

2014年2月23日日曜日

【とっぴんぱらりの風太郎】万城目学(文藝春秋)

連日のオリンピックに熱狂したりがっかりしたり勇気づけられたりと忙しい毎日です。
そんな時に限ってパソコンが不調。もう何回目かの「ユーザープロファイルの読み込みに失敗しました」メッセージが出てログインできず。毎回やり方をいろいろ考えて(ウェブで検索などして)再ログインを試みているのですが、今回の方法は、ログイン出来ないプロファイルを削除して再ログインするというもの。再ログインの際に新たにプロファイルが作成されるので、これで無事ログインできますということです。
で、そうしてみました。
すると。再ログインに成功。ただし、以前のプロファイルは削除されてしまっているので、ほぼ一からパソコンの設定をしなければなりません。で、普通に保存していたファイルなどもほぼ全く削除されてしまっていたのでした。場所はユーザーフォルダ。プロファイルを削除する過程で、ユーザーフォルダそのものも削除されていたのでした。でも大事なファイルは保存していないはず。と思ったら、読書データがそこに入っていたのですね。でもドロップボックスフォルダに入っていたはずだから、ウェブ上に同期ファイルがあるはず。で、ドロップボックスを起動してファイルをダウンロードしました。
って、最後の同期が1月半ばなのでした。つまり1月中旬からのファイル更新がされていないのでありました。とほほ。
そんなわけで、読書データをこのブログから再構成。ウェブ上のストレージというのは大事やなあと思ったのでした。

【とっぴんぱらりの風太郎】万城目学(文藝春秋)
直木賞候補になりましたかね。大して術のうまくない伊賀の忍者風太郎が、江戸時代はじめの京都、大阪でいろんな人(じゃないもののけとかも)に振り回されるという話。伝説の忍者「果心居士」の片割れと名乗る「因心居士」というひょうたんのもののけに、うっかりと頼りにされてしまう風太郎。かつての忍者仲間たちと謎の「ひさご様」を守ることになる。そして大阪冬の陣、夏の陣が巻き起こり、否応なくその渦中に巻き込まれることに。
ちょっと情けないキャラの主人公が、周りの人たち(とかもののけとか)の力を借りて(あるいは運良く)目的を果たすために活躍する、というパターンはいつもどおりかなあという気もします。もちろん物語の構成としては鉄板なので申し分ないのですが。とにかく長い長い。いろんなシーンは読み応え十分なのでこの長さも納得するにはするんですけど。最終章の戦闘シーンは、ちょっと疲れてしまいました。最後の最後で「これでもか」という仕掛けがいっぱいありすぎてね。
それにしても、大阪城が好きそうですねえ、万城目さん。ここから「プリンセス・トヨトミ」につながっていくのかな。取っ掛かりがどんなだったか忘れてしまったので、なんとも言えないのですが。

2014年2月19日水曜日

【聖なる怠け者の冒険)森見登美彦(朝日新聞出版)

オリンピックにかまけてしまって、というか、時間の使い方がどうしてもオリンピック中心になってしまっているのである。TVをつけるといつもオリンピックオリンピックなのだから仕方がないといえば仕方がないのだが。
それにしても、ニュースの中心がオリンピックで、それに時間を使うものだから、雪のニュースとかバリ島の遭難のニュースだとかが後回しになっているような気がする。まあどのニュースに重きをおくかというのは好き好きなのだろうけれど。今も雪の中で孤立している人がいるかもしれない。そんなことをちょっと考えてしまうのである。

森見登美彦は面白い。舞台はいつも(ほぼ)京都。そしてこの京都という街の持つ不思議な感覚をどこまでも作品の中に取り込んでいる。自らは「妄想作家」と呼んでいるそうだが、妄想がここまで来ると気持ちがいい。ハマってしまうと抜けられない。はい、はまっています、わたくし。
今回の話は京都の街に出没する「ぽんぽこ仮面」、怠けることにかけては人に負けない小和田くん。道に迷うことが得意な(?)週末アルバイト探偵の玉川さん。何をしているかよくわからない五代目。そんな人達が祇園祭の宵山を巡って交錯する世界。
もう何がなんだかよくわかりません。SFと言われればSF。ファンタジーと言われればファンタジー。ユーモア小説と言われればユーモア小説。ともかく「意外な展開」と一言で済ますのはもったいないくらいの幻想妄想のてんこ盛りです。
朝日新聞に連載していたものを、一から書き直したという根性にも脱帽です。もうこの作家から目が離せませんな。

2014年2月17日月曜日

【メジャーリーガーの女房】田口恵美子(マイコミ新書)

連日、ソチオリンピックで寝不足です。というほど実は寝不足にはなっていないのですが、なんとなく毎日フワフワとした気分なんですね。もちろん日本代表勢がメダルをとってくれているおかげです。みんな頑張ってます。
その上、ここのところ不安定な天気も続いています。なんだか世界がおかしくなっているんじゃないかと勝手に思ったりして。まあ、こんな時もあるんでしょうけど。

【メジャーリーガーの女房】田口恵美子(マイコミ新書)
昨年現役を引退した田口壮の奥さんのエッセイです。元アナウンサー。メジャーリーガーの暮らしぶり、マイナーに落ちた時の扱いの違いとか、あまりスポーツニュースにはなりにくい奥様たちの交流や生活ぶりなどについて、赤裸々と言っていいほど書いてくれています。お世話になった人への思い、だけじゃなくて、嫌な思い出も隠さずに。いやあおもしろい。
内容もさることながら、その文章力にも驚きます。読ませる文章を書きますねえ。これからももっともっといろんなところで活躍してほしいなあ。

2014年2月8日土曜日

【ホモ・ファーベル】マックス・フリッシュ(中野孝次訳・白水社)

外は雪です。20年に一度の雪になりそうだということですね。かなわんなあ。こういう時は外には一歩も出ずに家で読書、といきたいのですが、そういうわけにもいかないようで(詳細は伏せておきましょう)。

白水社が出版していた「新しい世界の文学」のシリーズの一冊。
「新しい」といっても、このシリーズが出版されたのは60年代ですから、その時点での「新しい」ということですね。もちろん、今でも新しさを感じさせる作品もたくさんあるわけです。(ちなみに、このシリーズの一冊にサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」もあったのですね。)

さて、この一冊。マックス・フリッシュはスイスを代表する作家。物語は主人公のファーベル氏の独白というようなもの。思いつくままに、といったふうに主人公の物語が続く。大した事件は起こらないのかなと読み進めていると、かつての恋人ハンナとの思い出となり(第二次大戦前で、ユダヤ系のハンナと結婚しようとしてできなかった)、そしてその後に出会ったエリザベートという娘との恋となり、実はそのエリザベートは。。。というところから、サスペンスなタッチにもなってくるのですね。そして悲劇。その前後の時間の感覚があれれれれ、となるその雰囲気がいいです。ただ、この主人公の生き方には共感できませんけどね。

2014年2月1日土曜日

【孤島】ジャン・グルニエ(井上究一郎訳・筑摩書房)

ジャン・グルニエというのはフランスの哲学者、作家で、カミュの先生らしいです。
「孤島」は、小説のようなエッセイのような独白のような、なんと言っていいかよくわからない作品群でした。人生とは、ということをちょっとのんびり考えているような。
「孤島」を「孤独」と読み変えても。。。と思いましたが、そういうことは考えないほうがいいのかな。
中で「猫のムールー」の話がなかなかいいです。内容もこの本の中では易しい。猫のことを書いて、これだけ静かな話はちょっとないかもしれません。感情移入し過ぎることなく、淡々とその生を(そして死を)見つめています。

アバドのモーツァルト:レクイエム(2012年 ルツェルン音楽祭)

今年、合唱団でモーツァルトのレクイエム(いわゆるモツレク)を演奏するのです。本番はまだまだ先なんだけど。今、練習の真っ最中。
よく知られていることですが、この曲はモーツァルの遺作で、しかも未完成。「涙の日」の途中まで書いたところで力尽きたと言われています。そして未完の部分は弟子のジェスマイヤーが書き足して演奏したのですね。「ジェスマイヤー版」と呼ばれています。
で、この弟子の書いた部分を書きなおして演奏する、ということが時々あります。今度演奏しようとしているのは、ピアニストで音楽研究家のレビンさんという人が改訂した「レビン版」という版です。これ、新しいということもあってなかなか珍しい。そしてなかなか難しいです。
そのほかにもいろんな人の改訂によるいろんな版が存在するのですね。

で、練習している曲だからということもあって、目についた(耳についた?)ものは一応聞いてみようと思っていました。
そして今日。何気なく撮りためたビデオをちょっとかけてみたら、これがレクイエムだったわけです。それもアバドが指揮したもの。そしてジェスマイヤー版じゃなくてバイヤー版での演奏で(どう違うかはWikiで確かめてみてください。わたくしもよく分かりませんのです)、「サンクトゥス(Sanctus)」だけはレビン版という、変則的な演奏でした。
一部分だけでもレビン版が聞けるやん。それもアバドでっせ。

というわけで聞いてみましたが。これがとても素晴らしい演奏でした。
アバドは先日亡くなってしまいましたが、この時はずいぶん痩せてはいるものの、指揮台上での姿はシャキッとしていてカッコ良かったです。ダイナミックスとかリズムとかのメリハリが聞いていて、聴き応えのある演奏でした。
それと、歌がとてもうまかった。合唱はバイエルン合唱団とスウェーデン放送合唱団。コントロールがよくきいていて、しかも無理がない。細かい動きも明確。こういう風に歌えたらいいなと思いましたね。
そしてソリストの皆さん。こういう合唱曲のソリストは(特にオーケストラ伴奏となると)全体のバランスとかハモリとかは横においておいて、とにかく自分の力量を出そうとする演奏者が多いのですが(まあ普段はオペラとかで、目立つ役目を担っているということもあるんでしょうけど)、今回のソリストの皆さんは、一人ひとりがしっかりしていながらも、4人のバランスがとてもいい。ソリストだけでこんなにハモるモーツァルトは(もっと大げさに言えばオーケストラ伴奏の曲は)あんまり聞けないですね。特にアルトのサラ・ミルガンドという人。テナーが歌っているのかと思うくらい声の幅がすごい(だからテナーとよくハモる)。内声(アルトとテナー)がハモるとこんなに気持ちのいい音楽になるのかと思いました。

ルツェルン音楽祭の伝統のようなものかもしれませんが、演奏が終わったあと、しばらくは拍手もブラボーの声もたてないのですね。指揮者がゆっくりと指揮棒を降ろし、ふうーと息を吐いて、吸って、その空気がふわっとどこかに溶けていってから、ようやくパラパラと拍手が始まって、やがて大きな歓声になっていくのですね。いい演奏を聞きました。こういう風に歌えたらいいんですけど、ね。

2014年1月31日金曜日

【新・片づけ術 断捨離】やましたひでこ(マガジンハウス)

今更ながら「断捨離」です。つい最近、著者のやましたひでこさんをテレビで見て、その時に、
「断捨離という言葉だけがひとり歩きしている。単なる片付け術だと思われているけれど、本当は生き方の提案なんだけど。。。」
ならば、というわけで読んでみたわけです。とにかく「実際に見てみないと信じない」という人間なので(悪クリスチャンの言葉ですね)。

で、確かに書いてある内容は、「生活をいかにスッキリさせるか」ということが主眼ですね。そのために、ということで「断捨離」という考え方ができているといった印象です。もともとは「断行」「捨行」「離行」という、ヨガの「行」からとった言葉だとのこと。
それにしても、書名にきっちりと「新・片づけ術」と題しているのですから、片づけ術ととられても仕方ないですね。著者が気にしている気持ちもわかりますけどね。中で何度も「ただモノを片付けるだけでは、生活は変わらない」ということを何度も書いてますし。うまく収納しても、それは「見えなくなっただけで、そこには存在したままである」ということですね。わかります。
中にいくつか、実際に「断捨離」した方々のエピソードが載ってるんですが、これ、どうなんでしょう。ちょっと行きすぎ? という気もします。断捨離の結果、離婚に成功(!)したとか。独り立ちできたとか。
ま、人生、それぞれですから。やりたいことをやればいいと思いますよ。そのなかで「断捨離」もひとつの方法ですね。
わたくし自身の感想。一度取り組んでみたい、と思ってしまいました。はい。洗脳されやすいタイプです。ども。

2014年1月27日月曜日

文楽鑑賞

ぶたこな日々もどうぞ。

昨日、文楽を見に行きました。大阪は日本橋(にっぽんばし nippon-bashi、と発音します)にある国立文楽劇場。ぶたこも書いているとおり、入場者数が少なければ補助金カットという危機。地元の大切な伝統文化なので、この機会に一度は見ておこうと思ったわけ。なくなってしまうわけではないでしょうが。

出し物は「面売り」「近頃河原の達引」「壇浦兜軍記」。
初春公演の楽日でありまして、それぞれめでたい出し物のようです。いや、文楽のことは高校時代に学校の授業の一環で観たきりで。そのときちょっとした解説(人形の動きや筋のことなど)を教えてもらったきりで。詳しいことはわかりません。ちなみにその時の演目は「曾根崎心中」でした。道行の場面が、静かな迫力があったことを覚えています。

義太夫節などはときどき落語の中に出てきたり、テレビの特集でちょっとだけ歌ってはるのを見るぐらい。どうやら何をしゃべっているのかは分かりにくそう(それが味というものかもしれませんが)。
で、何も知らずに見てしまうと何を演じているのか、筋もわからないかもしれないと思い、直前に図書館で「文楽入門」という本を借りてきて、一夜漬けの文楽学習。おかげで予習はできたので(ほんのちょっとですが)、見どころも分かってみるとおもしろみも増すというもの。音楽もそうだけど、何かを鑑賞するときには予習していくのがお勧めです。何もわからない真っ白なままで感覚だけで感じるものも大事でしょうが、いかんせん、普通人の感覚しかないわたくしなどは、「真っ白な感覚」で鑑賞すると、真っ白なままで何も得ることなく終わってしまうような気がします。

そんなわけで。楽しみも抱えつつの鑑賞です。楽日ということもあってか、補助金問題もあってか、昨日の第二部は満席。ちょっと早めに行って1階のレストランで食事でも、という話もあったけれど、レストランも満席。いやはや、うれしいことです。
座った席は上手の、御簾の前の席。大夫の声も三味線の音も、直に聞こえそう。

最初の「面売り」。「おしゃべり案山子」という役どころ、ほんまの案山子かと思ってたのですが、そういう名前の売り子さんでした。人形の所作、音楽の迫力(三味線が5人もいてはった)。登場人物はふたりきり。どこか萬歳のようでしたね。めでたい出し物なのだろうなあと思いました。

10分休憩を挟んで、「近頃河原の達引」。まずは「四条河原の段」。暗い中に一本の柳の木(だと思う)。住大夫さんの語りで、伝兵衛が勘左衛門を殺めてしまう場面。
義太夫節は、歌うところと(歌謡)語るところとのバランスが聴かせどころとか(一夜漬けの知識です。間違ってたらすみません)。で、住大夫さんはそのバランスが絶妙です。しかも言葉が分かりやすい。いや、わたくしのような文楽素人の若僧が言うようなことではありませんが、ほんまに感動しました。
そして。伝兵衛が勘左衛門の無理無体に耐えかねて、ついに小太刀を取り出して立ち回り、というその時に、舞台後ろの幕がぱあっと落ちて、そこには鴨川を挟んだ四条河原町の茶屋のぼんやりとした風景が。そしてどこからともなく聞こえてくる座敷歌。それをバックにふたりの斬り合いがあるのですね。いやあなんとも映画的というか劇的な演出です。
舞台が替わって演者も替わっての「堀川猿回しの段」。伝兵衛と契りを交わしたおしゅんの家には、三味線を教える盲目の母親と猿回しを生業とする兄の与次郎。はじめに母親が稽古をつけている場面。面白いのは弟子の歌い方を聞いて「これ、そこはそうではなく、こう歌うのじゃ」と母親が歌って聞かせるのですね。これ、案外難しいのではないでしょうか。ちょっと「うまくなく」歌うわけですから。といって、素人耳にはほんのちょっとの違いはよおわからんのですが。
で、この場面ではなんといっても与次郎のキャラクターが楽しませてくれます。母親のため妹のため、という心意気は高いのですが、その実は臆病で気が小さい。今やお尋ね者となった伝兵衛には妹を近づける訳にはいかない、しかし伝兵衛には力では勝てそうにもないから。。。などという行きつ戻りつの感情がとても愛すべき存在といった風。
忍んできた伝兵衛を家から追い出そうとして、間違って妹おしゅんを放り出し、伝兵衛を家にかくまってしまうという大失態。まるで新喜劇の世界です。その上ふたりの門出にと猿回しをするところなど、まあなんというか、いろんな出し物を出しましょうといったところでしょうか。
で、文楽の人情劇なら、あの世で寄り添いましょうぞとふたり手を取り道行に、となりそうなところで、母親も兄与次郎も、死んではならじ、逃げれるところまで逃げなさいという、どこかハッピーエンド的なところも、めでたい時の出し物なのかもしれませんね。

30分の休憩の後、「壇浦兜軍記」の「阿古屋琴責の段」。平家の落人景清の行方を聞き出そうと、景清の恋人阿古屋が連れて来られます。阿古屋は景清の行方は知らないといいますが、景清に個人的な恨みがある岩永左衛門は厳しい詮議を要求します。しかし聡明な代官重忠は、阿古屋に琴、三味線、胡弓を弾かせます。阿古屋の弾き語りには景清への思いがこもり、その言葉には嘘がないと断じ、阿古屋を解放する、という話。
はっきりそれと分かる悪役、岩永左衛門。真っ赤な顔にどんぐり眼、口はずっとへの字というか半円形に曲がっています。それに対する重忠は、いわゆる絵に描いたような二枚目。さらに阿古屋はきれいな花魁の着物に髪にかんざしも賑やかに。こういうはっきりと分かる演出も伝統芸能ならではでしょう。
そして何より見どころは、琴、三味線、胡弓を奏でる奏者と人形との一体感。胡弓は初めて演奏しているところをみたけれど、弓の弦は分厚くてしかも結構緩んでるんですね。それでどんな音が出るんだろうと思ったら、これが結構立派な音でびっくりしました。阿古屋の胡弓の演奏にあわせて、火鉢にあたっていた岩永左衛門が、ついつい火箸で胡弓を弾く手真似をしてしまい、あちちちちっというのも面白かったです。

3つの楽器を自在に演奏する阿古屋を見て、これはもう、ほとんどロックのギターソロやなあと思ってしまいました。胡弓に至ってはジミー・ペイジを思い出したりして。いやちょっと毛色が違いすぎますが。

そう、お芝居と音楽が一緒になっているという点では、オペラに似てますよね。聞かせどころの一節が終わると拍手が来るのも似てる。名前を呼ぶのも「ブラボー」に似てる。
そして、三味線がメロディを奏でるのに合わせて、義太夫が語る、というのはどこかラップみたいです。こうして考えてみると、いろんな芸術には共通点もあるということでしょうか。そんなこと言ったら文楽の人に怒られるかもしれませんけどね。

なんとなく「伝統芸能」というところから、敷居の高さも感じていましたが、実際に劇場に足を運んでみると、特に普通の音楽会やお芝居と変わりのない雰囲気でした。みんな普通の服着てたし(着物姿のかたもちらほら見かけましたけどね)。

というわけで、初の文楽体験は楽しいひとときとなったのでした。機会があったらまた見に行きたいですね。

2014年1月25日土曜日

【刺青の男】レイ・ブラッドベリ(小笠原豊樹訳・ハヤカワ文庫)

ブラッドベリの、かなり古い作品です。映画にもなりましたね。
語り手がある夜、一緒に野宿することになった見知らぬ男。その男は体中に刺青がありました。男の言うことには、夜になるとその一つ一つが息を吹き返し、それぞれの物語を始めるのだとか。その夜、語り手は様々な物語を体験することになり。。。

ブラッドベリにはお馴染みのオムニバスものですね。18話からなる短篇集で、それが「刺青の男」の刺青から立ち上がる物語である、という設定。タイトルのおどろおどろしさとは関係なく、中身はSF物が多いです。他の短篇集に入っているものもあるし。
それぞれの物語は、いろんなバージョンがあって、短篇集として面白いです。これをわざわざ「刺青の男」としてまとめなくても、とは思いますね。逆に全体を通して読まないといけないのかなあと思ってしまったり。そうすると読み方まで変わってくるというか、作者の意向に沿った読み方をしないといけないのかなと思ってしまうのですね。まあそう固くならずに、一つ一つの物語を愉しめばいいのですけれど。
それぞれの物語は、ほんとうに面白いです。SFをファンタジーやミステリーだけでなく、ペーソスも含めた人間ドラマとしても高めたブラッドベリの真骨頂のような作品が並んでいますからね。あ、SFじゃないドラマもありますよ。

2014年1月23日木曜日

【告白】町田康(中公文庫)

河内音頭に歌われる「河内十人斬り」のモデルとなった事件。相手の家族(女子供を含めて)十人もの人間を斬り殺したのはなぜか。その男の心のうちは、というのを描いた作品。
主人公の城戸熊太郎が、子供の頃から思わぬ方向に導かれ傾き、成長していく姿を、その内面まで深く掘り下げて描いています。
と書くと、シリアスな精神ドラマととらえられそうですが、町田康はそんなことはありません。
こういう実話を元にした作品を書くときに用いられる「ドキュメンタリー」な手法とは真反対に、主人公の心の内面をどこまでもどこまでも、自分の言葉で語りつくそうとします。それが時々長々と講釈めいたことになって、それでもやめられない。そんな文章が果てしなく続く、文庫版で850ページも続きます。いやはや。
しかし、読み終わると「長かった」という感じはしません。何しろ実際に起こった出来事(エピソード)はそれほど入り組んだものでもややこしいものでも長いものでもないのですね、実は。だらだらと長くなっているのは、主人公のひとつの行動の、それを起こすに至った心の動きを、果てしなく追いかけているからで、これがなければ深沢七郎の「笛吹川」ぐらいの分量になっていたことでしょう。
もちろん小説の価値はいろいろで、長ければいいというわけでもないですし、短ければいいというものでもありません。長いものには長いなりの理由があればよいわけですし、短いものにもそれなりの説得力があればそれでいいのですし。世に言われる「名作」というものは長いものにしろ短いものにしろそういうものなのでしょう。
話の作り方も、ギャグがありパロディがあり(たぶん)、思わず笑ってしまう場面もいっぱいで飽きさせません。言い方が間違っているかもしれませんが、落語と講談を一緒にしたような感じです。

で、人生の紆余曲折があって、主人公熊太郎は自分をないがしろにした一家、浮気をした嫁とその家族のうちの10人を斬って捨てるわけですが。
これが何ともせつない。せつないのは、人を斬り殺しても鬱憤は晴れないのですね。それが分かっていながらやらざるを得ない状況。これは辛いですね。

さて、これは河内が舞台となっていて、会話文はほとんどが河内弁なのですが、大阪ネイティブなたこぶでも読みこなすのには時々骨が折れました。見た目には(ひらがなの羅列なので)よく意味がわからないのだけれど、実際に声に出して読むと「あっ」と分かるのですね。ここまでよく書いたなあと思います。会話文を書き言葉にする、それだけでも大変なエネルギーがいったでしょう。町田康はあなどれません。

2014年1月20日月曜日

【千年ジュリエット】初野晴(角川文庫)

「ハルチカ」シリーズ第4弾。前回は地区大会コンクールでの出来事でしたが、今回は夏が終わり、文化祭が始まります。今年の文化祭は特別です。何しろ麻疹の流行で多孔の文化祭はことごとく中止。舞台の清水南高校だけがなんとか延期して開催にこぎつけます。そしてそこでまたもやいろんなミステリーが。それを解決するのはいつもながらの頭脳明晰なハルタと直感で行動するチカのコンビ。
回を重ねるごとにいろんな人のキャラクターが生きてきていますね。その分ミステリーとしての(特に謎解きとしての)面白みがちょっと減ってきているかなという危惧はあります。
しかし、何といってもハツラツとした(そしてちょっと陰もある)高校生のドラマとしては良く出来ていて、ちょっと漫画チックな展開もまあまあ許せるかな、とずっと読んできた読者としては思ってしまうわけですね。これは作者の思う壺なのでしょうが。
今回は、将来有望と思われた元ピアニストがなぜかピアニカ奏者になった話(エデンの谷)、文化祭に間に合うために乗ったタクシーをなぜか暴走させてしまうロッカー生徒(失踪ハードロッカー)、先祖が絶対不利な状況で決闘に望んで、しかし勝ち残った謎を解き明かそうと舞台で再現しようとする演劇部員(決闘戯曲)、ケア病棟で密かにネット人生相談を始める5人の患者たち(千年ジュリエット)。の4編。
ハチャメチャな学園ドラマかと思いきや、思わぬ仕掛けやどんでん返しが最後に待ち受ける。これはもうパターンなんですけど、ハマってしまうと次を期待してしまいますね。さて、文化祭が終わって(彼らはまだ2年)、これからどうなるのやら。

2014年1月19日日曜日

【さようなら、オレンジ】岩城けい(筑摩書房)

今年の芥川賞の候補作。惜しくも受賞は逃しましたけどね。去年の太宰治賞を受賞した作品です。
オーストラリア(だと思われる)に移住してきた二人の女性の話です。ひとりは戦火を逃れてやってきたアフリカからの難民サリマ。もうひとりは夫の転勤についてきた日本人(と思われる)で一児の母。サリマはこの女性を「ハリネズミ」と呼んでいます。
二人の出会いは英語教室。生徒のレベル分けがなく、発音もおぼつかないサリマは語学に堪能なハリネズミを羨ましく思っています。しかし時が経つと二人の関係は微妙に変化していくのですね。それぞれの人生の出来事が色々からんできます。
言葉が通じない=思いが通じない。異国で暮らす孤独。しかし生活はしていかなければならない。生きていかなければならない。言葉だけでなく文化も違う場所で。しかも女性で。ふたりはいろんな壁を乗り越えていかなければならないのですね。
物語は、二人の視点で交互に語られていて、それぞれが希望や悩みを抱きつつ生きているのをよく表しています。人種差別や偏見だけでなく、人生に待ち受けるいろんな障害。それらの壁を超えて生きていこうとする姿がいいですね。ちょっと出来すぎのような感じもしますけど。応援したくなる本でした。

2014年1月16日木曜日

【アンデスマ氏の午後・辻公園】マルグリット・デュラス(三輪英彦訳・白水社)

「愛人(ラ・マン)」で有名な(本人は不本意かもしれませんが)デュラスの、初期の頃の作品です。デュラスを読むのはこれが初めてかもしれません。
感想は...何とも不思議な感じです。
「アンデスマ氏の午後」は、海と街が見える丘にある別荘で、仲買人が来るのを待っている老いたアンデスマ氏の一日。
「辻公園」は、旅商人の男と家事手伝いの女とが公園で話し合う。
どちらも、筋らしい筋はありません。ただ状況が描写されるだけ。「アンデスマ氏の午後」では、籐椅子に座って仲買人を待つアンデスマ氏(かなりの年配で、若い娘がいて、この別荘も娘に頼まれて買ったもの、ということが少しずつ分かる)と、仲買人の娘、仲買人の妻との会話があるだけ。しかもその会話がどうにも成り立っていなさそう。
「辻公園」に至っては、物語のほぼすべてが二人の会話のみ。人生の諦観を感じさせる中年(らしい)の旅商人と、未来への希望を持ち続けようとする(しかし思ったとおりにいかないので苛立っている)若い女使用人。それぞれが象徴的なものなのかなと思うけれど、話はあまり噛み合っていなくて、こちらも何が言いたいのやら、という気もします。
どちらも短い話で(これでだらだらと長かったら耐えられないかも)、物語はこれからどうなるのだろう、というところでハタと終わってしまうのですね。まるで「続きはどうぞ皆さんでお考えください」と言われているようです。だから読後感が不思議な感じで、しばらく心に残るのでしょうね。
ちなみにこれは白水社の「新しい文学」シリーズの一冊です。といっても1960年代の出版ですから、「新しい」というのもその時代の、ということになりますけどね。でも「なにか新しいものをつくりあげよう」という意気込みは感じられます。それもこういう作品を読む楽しみですね。

2014年1月14日火曜日

【恋文の技術】森見登美彦(ポプラ社)

全編書簡形式で書かれた小説です。相変わらず京都を舞台に、と言いたいところですが、今回は京都から能登半島の研究所に派遣されてしまった守田一郎が主人公。というか、語り手です。というか、手紙の書き手です。
大学時代の同僚小松崎くんには恋の手ほどき(と本人は思っている)を。全く歯がたたない先輩の大塚緋紗子さんには宣戦布告を(もちろん失敗する)。家庭教師として教えていた間宮少年には言い訳三昧を。更に妹に、そして森見登美彦に(!)。手紙を書きまくる(と言っていいでしょう)のですね。そしてそれぞれの手紙の内容が絡まって、ひとつの物語になっていくという趣向です。
森見ワールド全開ですね。抱腹絶倒。はっきりいって情けないキャラの守田くんは、研究所の上司谷口さんにいじめられつつ、「恋文指南」を目指してこれらの人たちと文通を続けるのですね。しかし本当の目的は、もちろん自分の恋文を書くことなのであります。そしてその恋文は書けたのか。恋は成就するのか。
阿呆なことを繰り返し、阿呆な文章を繰り返して笑わせておいて、最後にぐっとくる作品です。最後にグッと来るのは、読者(わたくし?)も阿呆なことの証明なのかもしれません。阿呆もいいものです。

【楽園への道】バルガス=リョサ(田村さと子訳・河出書房新社)

19世紀の女性労働活動家フローラ・トリスタンとその孫の画家ポール・ゴーギャン。ふたりの半生を交互に描きながら、時代と戦う反逆精神をいきいきと描いた作品。
にしても。
楽園への道のりは遠かったです。長かったし。
一人称でも三人称でもなく、二人称で話が進むのですね。作者というか著者というか、が、登場人物である主人公に語りかけてくるような。すると作中の人物がとても身近に感じてしまうのですね。作品が一層身近になる。面白い書き方です。(古川日出男の「ベルガ、吠えないのか」と似てます)
そして何よりも、作品自体の推進力というか文章自体の迫力というか、その力強さに圧倒されます。別に変わった表現も変わった文体も(二人称のところ以外は)あるわけでもないんですけど。
さて、ポール・ゴーギャンといえば「月と六ペンス」ですね。モームの名作は芸術に生きる人間の不条理さを描いていましたが、こちらはもっと生々しく、そしてややリアルなゴーギャン像となっています。ゴッホとのいきさつなども描いていますしね。おかげでとても沢山な分量になってますが。
まあ読み応えは十分でしょう。時代の反逆児、という視点は好きな題材なので、長い道のりでしたがなんとか最後までたどり着きました。

2014年1月12日日曜日

パソコンの不調

連休はゆっくりと読書。と思っていた。そして朝、かなり遅く起きてパソコンを立ち上げてログインしようとしたら、「ユーザープロファイルを読み込めません」というエラーメッセージ。再起動させても同じ表示。そして最初の画面(ようこそ、の前の画面)に戻るのである。
これはなんとしたこと。ぶたこにも相談して(いちど、ぶたこのノートパソコンでも同じ症状が出たのだった。その時は回復コンソールで直ったのだった)、回復コンソールなどを検索してみる。前にどうやって回復させたのか、は、覚えていないのであった。
マイクロソフトのサポートページに、回復の仕方などが書いてある。レジストリをいじるらしい。ちょっと不安ではあるけれど、書いてあるとおりに、バックアップのレジストリを探し出し、名前を変更して再起動。
すると。
初期画面に、たこぶの名前すら出なくなってしまった。つまりは失敗したということか。
再び色々検索。新しいユーザー名を作成して、そこにユーザーフォルダからすべてをコピーすべし。そして新しいユーザー名でログインしてみなはれ、というのが見つかった。
早速そのとおりにやってみる。新しいユーザー名を作成。そしてその名前でログイン。懐かしい(パソコンを買ってきた当初の)初期画面が出てきた。エクスプローラを立ち上げて、ユーザフォルダを検索し、新しいユーザー名のフォルダにコピーコピー。完了したところで再起動。新しく作ったユーザー名でログイン。
おお、見事立ち上がってくれました。これで今までどおりの設定が生きているはず。

と。
思ったのですが。
そうはいかなかったのでした。

いくつかのソフトやブラウザの設定、パスワードなどは復活したけれど、日本語入力(たこぶはGoogle日本語入力を使用。ローマ字入力も独自にカスタマイズしている)も初期化。デスクトップも初期化。はれはれ。

幸い、ローマ字設定などはDropboxというウェブストレージにバックアップを作っていたので、復活は容易でした。
ふぅ
それにしても、何が原因でログインができなくなったのか。原因がわからんのが不安。そして、こういう時のために、データのバックアップは定期的にしておかないとアカンのかいなと(今更)思ったのでした。
さ、読書でも(今更)

【笛吹川】深沢七郎(講談社文芸文庫)

甲府に流れる笛吹川の土手の小屋似住む一家、六代の物語。お屋形様(武田家)との関わりの中で様々な苦労や悲惨な出来事が起こるのですね。
淡々とした語り口調で、貧しいものたちのギリギリの生活をいきいきと描き、読み手の安易な感受性をきりきりまいさせるところは、「楢山節考」にも通じます。いろんなシーンで「あ、深沢七郎だ」と感じさせるものがありますね。
とりつくろった表現とかきれいな文章を書こうとかいう気持ちはないみたいに思えます。ありのままの出来事をありのままに描いて、これでどこが悪い!と開き直っているような。その潔さ。
戦国時代ですから、戦に行くのが男の役目。しかし結果は悲惨なことになります。いわばお屋形様に家中が振り回されて死んでいくわけなのですが、それでも「今あるのはお屋形様のおかげ」と信じているのですね。どこか、戦争中の日本を象徴しているのかな、という深読みをしたくなります。
登場人物たちの生き方は、どうにも理屈に合わなかったり、間違っているように思えるんだけど、こちらが分からは文句を言えない凄みのようなものを感じます。これが深沢作品の真骨頂なのでしょうね。
潔く正面切って生きろ、と言われてるみたいです。ちょっと、ご勘弁をと言いたくなる時もありますが。

2014年1月11日土曜日

【犬は勘定に入れません】コニー・ウィリス(大森望訳・早川書房)

「-あるいは、消えたヴィクトリア調花瓶の謎-」という副題がついておりまして、数々の賞を受けたコニー・ウィリスのSF作品です。
1940年の空襲で焼け落ちたコベントリー聖堂にあったはずの「主教の鳥株」(どうやら花瓶のようなものらしいです)を探すために、2057年からタイムトラベルを繰り返す研究員のネッド。しかし度重なるタイムトラベルによる「タイムラグ」(時空差ボケ?)にかかり、静養のためにヴィクトリア時代にタイム・トリップするのですが、実はそこでもある使命が待っていたのでした。しかしタイムラグにかかっているネッドはいまいち事情が分からずじまい。同じようにタイム・トリップしてきた研究員のヴェリティと、時空の「齟齬」を直す手立てを尽くすことになるのですが。
おかしな題名は「ボートの三人男」へのリスペクト。作者のジェロームもちらっと出てきます。
全体がユーモア満点のSF小説なのですが、主な舞台は古き好きイギリス。当時の貴族社会のドタバタを描いていて、なんとも面白いものになっています。気の強い女主人、金魚にうつつを抜かすその夫、甘やかされ放題のその娘。そして何よりもその家の執事! SFでありながら古典的なユーモア小説でもあるという面白さ。
できれば前述の「ボートの三人男」と、ウッドハウスの「ジーヴスもの」のどれかを先に読んでおくことをおすすめします。その両方と、SF時空サスペンスを併せ持った、素晴らしい作品です。数々の受賞も頷けますね。

2014年1月7日火曜日

【死の家の記録】ドストエフスキー(望月哲男訳・光文社古典新訳文庫)

ドストエフスキーがシベリアで囚人生活(?)をしていた時のことを元に書き上げた小説ですね。後の作品の原点とも言われています。
シベリアでの獄中生活。それは想像するような過酷なものでもなかったようです。もっとも、小説ですから、どこまでが事実なのかはわかりませんが。
ゴリャンチコフというのが主人公で、この人の手記、という形で物語が進みます。どんな罪でここに繋がれたのか、ということについてはあまり語られません。というか、ほとんど筋らしい筋もなく、獄中での出来事がただ淡々と述べられているといったようなものです。そしてその中で、この書き手の考えがあれこれとはさまるのですね。まあ長いモノローグを読んでいるようなものでしょうか。
かつては貴族であった主人公が、囚人となって身分の差もなくなり獄中生活を送る、ということで、人間の平等性などに思いを馳せるのですね。ところが終盤になって、囚人が集団で管理者に訴える場面になると、なぜか他の囚人からはよそ者扱いされるのですね。どこまでもついてくる身分差を突然味合わされるわけです。そのための前段が、長い長い長い長い獄中生活の物語なのですね。
ドストエフスキーは今までも何冊か読んだことがあります。この小説がその後の作品の土台になったのだなというのはなんとなく分かりますね。物事を突き詰めて書く書き方。事細かな描写力。その後の作品に生かされていますね。
光文社古典新訳文庫では、巻末に「読書ガイド」がついています。これを先に読むことをおすすめします。作中に出てくるいろんなことがら(笞刑とかスラングとか)が分かって、読みやすくなりますよ。

【ボートの三人男】ジェローム・K・ジェローム(丸谷才一訳・中公文庫)

たこぶ・ろぐから引っ越ししてきました。

読書感想文をぼちぼちとアップしようと思っています。気が向いたらそのほかのこともぼちぼちと。できるだけこまめに、とは心がけていきますが、先の見通しはあまりつきません。今までも計画どおりに事が運んだ試しがないので。でも、ま、とりあえず。

イギリスの古典的なユーモア小説。気鬱に悩む3人の紳士(?)が、テムズ川下りを楽しもうとするのですが、いろんなドタバタが待っている、というまさに古典的なお話です。
イギリス文学としては有名なものらしいです。副題の「犬は勘定に入れません」というのがそのままコニー・ウィリスのSF小説の題名にもなっていますね。
まあ19世紀初頭(と思われる)の話ですから、今からみたらどうしてこれが面白いのか、と思うこともありますけどね。ただ、ユーモアのセンスというのは(特にイギリスは?)昔からこういうものだったのだな、というのがよく分かります。モンティ・パイソンもミスター・ビーンも、こういうところから生まれたのだな、と。