2014年1月23日木曜日

【告白】町田康(中公文庫)

河内音頭に歌われる「河内十人斬り」のモデルとなった事件。相手の家族(女子供を含めて)十人もの人間を斬り殺したのはなぜか。その男の心のうちは、というのを描いた作品。
主人公の城戸熊太郎が、子供の頃から思わぬ方向に導かれ傾き、成長していく姿を、その内面まで深く掘り下げて描いています。
と書くと、シリアスな精神ドラマととらえられそうですが、町田康はそんなことはありません。
こういう実話を元にした作品を書くときに用いられる「ドキュメンタリー」な手法とは真反対に、主人公の心の内面をどこまでもどこまでも、自分の言葉で語りつくそうとします。それが時々長々と講釈めいたことになって、それでもやめられない。そんな文章が果てしなく続く、文庫版で850ページも続きます。いやはや。
しかし、読み終わると「長かった」という感じはしません。何しろ実際に起こった出来事(エピソード)はそれほど入り組んだものでもややこしいものでも長いものでもないのですね、実は。だらだらと長くなっているのは、主人公のひとつの行動の、それを起こすに至った心の動きを、果てしなく追いかけているからで、これがなければ深沢七郎の「笛吹川」ぐらいの分量になっていたことでしょう。
もちろん小説の価値はいろいろで、長ければいいというわけでもないですし、短ければいいというものでもありません。長いものには長いなりの理由があればよいわけですし、短いものにもそれなりの説得力があればそれでいいのですし。世に言われる「名作」というものは長いものにしろ短いものにしろそういうものなのでしょう。
話の作り方も、ギャグがありパロディがあり(たぶん)、思わず笑ってしまう場面もいっぱいで飽きさせません。言い方が間違っているかもしれませんが、落語と講談を一緒にしたような感じです。

で、人生の紆余曲折があって、主人公熊太郎は自分をないがしろにした一家、浮気をした嫁とその家族のうちの10人を斬って捨てるわけですが。
これが何ともせつない。せつないのは、人を斬り殺しても鬱憤は晴れないのですね。それが分かっていながらやらざるを得ない状況。これは辛いですね。

さて、これは河内が舞台となっていて、会話文はほとんどが河内弁なのですが、大阪ネイティブなたこぶでも読みこなすのには時々骨が折れました。見た目には(ひらがなの羅列なので)よく意味がわからないのだけれど、実際に声に出して読むと「あっ」と分かるのですね。ここまでよく書いたなあと思います。会話文を書き言葉にする、それだけでも大変なエネルギーがいったでしょう。町田康はあなどれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿