2014年1月27日月曜日

文楽鑑賞

ぶたこな日々もどうぞ。

昨日、文楽を見に行きました。大阪は日本橋(にっぽんばし nippon-bashi、と発音します)にある国立文楽劇場。ぶたこも書いているとおり、入場者数が少なければ補助金カットという危機。地元の大切な伝統文化なので、この機会に一度は見ておこうと思ったわけ。なくなってしまうわけではないでしょうが。

出し物は「面売り」「近頃河原の達引」「壇浦兜軍記」。
初春公演の楽日でありまして、それぞれめでたい出し物のようです。いや、文楽のことは高校時代に学校の授業の一環で観たきりで。そのときちょっとした解説(人形の動きや筋のことなど)を教えてもらったきりで。詳しいことはわかりません。ちなみにその時の演目は「曾根崎心中」でした。道行の場面が、静かな迫力があったことを覚えています。

義太夫節などはときどき落語の中に出てきたり、テレビの特集でちょっとだけ歌ってはるのを見るぐらい。どうやら何をしゃべっているのかは分かりにくそう(それが味というものかもしれませんが)。
で、何も知らずに見てしまうと何を演じているのか、筋もわからないかもしれないと思い、直前に図書館で「文楽入門」という本を借りてきて、一夜漬けの文楽学習。おかげで予習はできたので(ほんのちょっとですが)、見どころも分かってみるとおもしろみも増すというもの。音楽もそうだけど、何かを鑑賞するときには予習していくのがお勧めです。何もわからない真っ白なままで感覚だけで感じるものも大事でしょうが、いかんせん、普通人の感覚しかないわたくしなどは、「真っ白な感覚」で鑑賞すると、真っ白なままで何も得ることなく終わってしまうような気がします。

そんなわけで。楽しみも抱えつつの鑑賞です。楽日ということもあってか、補助金問題もあってか、昨日の第二部は満席。ちょっと早めに行って1階のレストランで食事でも、という話もあったけれど、レストランも満席。いやはや、うれしいことです。
座った席は上手の、御簾の前の席。大夫の声も三味線の音も、直に聞こえそう。

最初の「面売り」。「おしゃべり案山子」という役どころ、ほんまの案山子かと思ってたのですが、そういう名前の売り子さんでした。人形の所作、音楽の迫力(三味線が5人もいてはった)。登場人物はふたりきり。どこか萬歳のようでしたね。めでたい出し物なのだろうなあと思いました。

10分休憩を挟んで、「近頃河原の達引」。まずは「四条河原の段」。暗い中に一本の柳の木(だと思う)。住大夫さんの語りで、伝兵衛が勘左衛門を殺めてしまう場面。
義太夫節は、歌うところと(歌謡)語るところとのバランスが聴かせどころとか(一夜漬けの知識です。間違ってたらすみません)。で、住大夫さんはそのバランスが絶妙です。しかも言葉が分かりやすい。いや、わたくしのような文楽素人の若僧が言うようなことではありませんが、ほんまに感動しました。
そして。伝兵衛が勘左衛門の無理無体に耐えかねて、ついに小太刀を取り出して立ち回り、というその時に、舞台後ろの幕がぱあっと落ちて、そこには鴨川を挟んだ四条河原町の茶屋のぼんやりとした風景が。そしてどこからともなく聞こえてくる座敷歌。それをバックにふたりの斬り合いがあるのですね。いやあなんとも映画的というか劇的な演出です。
舞台が替わって演者も替わっての「堀川猿回しの段」。伝兵衛と契りを交わしたおしゅんの家には、三味線を教える盲目の母親と猿回しを生業とする兄の与次郎。はじめに母親が稽古をつけている場面。面白いのは弟子の歌い方を聞いて「これ、そこはそうではなく、こう歌うのじゃ」と母親が歌って聞かせるのですね。これ、案外難しいのではないでしょうか。ちょっと「うまくなく」歌うわけですから。といって、素人耳にはほんのちょっとの違いはよおわからんのですが。
で、この場面ではなんといっても与次郎のキャラクターが楽しませてくれます。母親のため妹のため、という心意気は高いのですが、その実は臆病で気が小さい。今やお尋ね者となった伝兵衛には妹を近づける訳にはいかない、しかし伝兵衛には力では勝てそうにもないから。。。などという行きつ戻りつの感情がとても愛すべき存在といった風。
忍んできた伝兵衛を家から追い出そうとして、間違って妹おしゅんを放り出し、伝兵衛を家にかくまってしまうという大失態。まるで新喜劇の世界です。その上ふたりの門出にと猿回しをするところなど、まあなんというか、いろんな出し物を出しましょうといったところでしょうか。
で、文楽の人情劇なら、あの世で寄り添いましょうぞとふたり手を取り道行に、となりそうなところで、母親も兄与次郎も、死んではならじ、逃げれるところまで逃げなさいという、どこかハッピーエンド的なところも、めでたい時の出し物なのかもしれませんね。

30分の休憩の後、「壇浦兜軍記」の「阿古屋琴責の段」。平家の落人景清の行方を聞き出そうと、景清の恋人阿古屋が連れて来られます。阿古屋は景清の行方は知らないといいますが、景清に個人的な恨みがある岩永左衛門は厳しい詮議を要求します。しかし聡明な代官重忠は、阿古屋に琴、三味線、胡弓を弾かせます。阿古屋の弾き語りには景清への思いがこもり、その言葉には嘘がないと断じ、阿古屋を解放する、という話。
はっきりそれと分かる悪役、岩永左衛門。真っ赤な顔にどんぐり眼、口はずっとへの字というか半円形に曲がっています。それに対する重忠は、いわゆる絵に描いたような二枚目。さらに阿古屋はきれいな花魁の着物に髪にかんざしも賑やかに。こういうはっきりと分かる演出も伝統芸能ならではでしょう。
そして何より見どころは、琴、三味線、胡弓を奏でる奏者と人形との一体感。胡弓は初めて演奏しているところをみたけれど、弓の弦は分厚くてしかも結構緩んでるんですね。それでどんな音が出るんだろうと思ったら、これが結構立派な音でびっくりしました。阿古屋の胡弓の演奏にあわせて、火鉢にあたっていた岩永左衛門が、ついつい火箸で胡弓を弾く手真似をしてしまい、あちちちちっというのも面白かったです。

3つの楽器を自在に演奏する阿古屋を見て、これはもう、ほとんどロックのギターソロやなあと思ってしまいました。胡弓に至ってはジミー・ペイジを思い出したりして。いやちょっと毛色が違いすぎますが。

そう、お芝居と音楽が一緒になっているという点では、オペラに似てますよね。聞かせどころの一節が終わると拍手が来るのも似てる。名前を呼ぶのも「ブラボー」に似てる。
そして、三味線がメロディを奏でるのに合わせて、義太夫が語る、というのはどこかラップみたいです。こうして考えてみると、いろんな芸術には共通点もあるということでしょうか。そんなこと言ったら文楽の人に怒られるかもしれませんけどね。

なんとなく「伝統芸能」というところから、敷居の高さも感じていましたが、実際に劇場に足を運んでみると、特に普通の音楽会やお芝居と変わりのない雰囲気でした。みんな普通の服着てたし(着物姿のかたもちらほら見かけましたけどね)。

というわけで、初の文楽体験は楽しいひとときとなったのでした。機会があったらまた見に行きたいですね。

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