2015年11月7日土曜日

作家・中村紘子

【チャイコフスキー・コンクール】中村紘子(新潮文庫)
【どこか古典派(クラシック)】中村紘子(中央公論新社)
【アルゼンチンまでもぐりたい】中村紘子(文藝春秋)

本の表紙で、ピアノの後ろで微笑んでいる中村紘子さんは(こんなことを言うもんじゃないかもしれないけれど)まるでピアノを小道具にしたアイドル・タレントのようである。
一部には、そういう「見目」のみで人気を得ているのではないかという疑いを持つ向きもあるようだが、たとえクラシックに詳しくなくても、この本の内容を読むだけでも、氏が「人気だけのひと」ではないことが分かるだろう。

自らピアニストのことを「蛮族」といてはばからず(確かに子供の頃から毎日何時間も練習して、ほんの数時間の発表に備えるというのは、日本の古典芸能以上のものがある)、やや自虐的な綿も見せつつ、しかしクラシック音楽に対する愛情は深く深く、とても素人音楽好きのわたくしにはおよびもつかないものがあります。

その一方、クラシック音楽家であることを鼻にかけることもなく。自分とは価値観の違う人々、国々対する理解も気持ちいい。
文章はユーモアも交えてとても面白く、ふはふはとほくそ笑んでしまうこともしばしば。
これは夫・庄司薫氏の影響もあるのだろうか。
いや、持って生まれた感性が文章に現れていると思いたい。

そして、日本におけるクラシック音楽の普及、浸透、その世界の広がりをずっと追い続けているのがよく分かる。尊敬します。

「チャイコフスキー・コンクール」は、コンクールの裏側を語るとともに、コンクールという制度自体への疑念・提言なども含む。コンクールは所詮コンクールなのだ。
「どこか古典派(クラシック)」「アルゼンチンまでもぐりたい」は、エッセイ集。短い文章ばかりなのだが、考えの足場がしっかりしてぶれていないので、読んでいて気持ちがいい。

0 件のコメント:

コメントを投稿