2015年12月7日月曜日

非・作家:中原昌也

毎日いろんなことが起きる。わが家で言えば、先週ぶたこのノートパソコンにお茶をぶっかけてしまった。慌てて拭いた。その時はどうもなかったが、翌日になって電源が入らなくなった。電源を入れてもビープ音がなるだけで、画面は真っ暗。ちょうど寿命ではないか、もともと動作が不安定だったし(何度もプロファイルが壊れた)。買い替えどきを神様が知らせてくれたのだ(神様は便利な存在だ)。そう思って新しいパソコン(タブレット:キーボード付き)を早速アマゾンで注文した。翌日、アマゾンからタブレットは届いた。ダメ元で、もう一度だけノートパソコンの電源を入れてみた。立ち上がった。ただし、お茶を被った部分のキーボードは反応しなくなっていた。とりあえず外付けのキーボードを繋いで、外付けハードディスクにデータのコピーだけはしておいた。
そして、この機会にと(どの機会だか)わたくしのノートパソコンをバージョンアップして、Windows10にしてみた。今のところ快適に動く。インストールしてから、グーグル日本語入力が効かなくなるらしいという情報をネットで見てしまったが、後の祭りである。だが今のところ、再インストールしただけで(つまりアンインストール、インストール)元の辞書、キー設定などはそのまま使えている。大丈夫そうだ。インターフェイスがすっかり変わったのには戸惑っているが。

ということで、なかなか本題に入れないけれど、事ほど左様にわが家の数日を取り上げてもいろんなことが起こったわけ。そして目を世界に転じてみると、あたりまえのことだけれどもっともっといろんなことが、人の人生に関わる大きな出来事が起こっている。怒っている。今時分はどんな時代に生きているのだろうかと考えさせられる。
ネットのボタンを押すだけで、最新テクノロジーのタブレット型パソコンを手に入れることができ、ネットで簡単に世界と繋がる。かつては何十万も出して買っていたものが、こんなに手軽に手に入る。
一方、世界では今日の食べるものにも困っている人達がいる。たくさんいる。それを知っていながらなすすべがない。
いや、それは偽善的な言い方で、実際は何かをなそうという気になれないのだ。

こんなに自虐的な気分になるのは、中原昌也をまとめて読んだからかもしれない。
真面目に私小説を書こうとしているのかと思ったら、いきなり著者本人のモノローグが出てきて、「こんなくだらない仕事はない」などと愚痴る。物語を書いていて、書いている自分に嫌気が差してくるのだろう。それをそのまま、現在書いている物語の中に入れてくるなんて。
そして「嫌じゃ嫌じゃ」と言いながら書かれている文章を、ありがたく読んでいるわたくし。

【悲惨すぎる家なき子の死】中原昌也(河出書房新社)
【待望の短篇は忘却の彼方に】中原昌也(河出文庫)
【映画の頭脳破壊】中原昌也(文藝春秋)
【中原昌也の人生相談-悩んでいるうちが花なのよ党宣言】中原昌也(リトルモア)
【死んでも何も残さない-中原昌也自伝】中原昌也(新潮社)
【子猫が読む乱暴者日記】中原昌也(河出書房新社)
【あらゆる場所に花束が・・・・】中原昌也(新潮社)
【ニートピア2010】中原昌也(文藝春秋)
【名も無き孤児たちの墓】中原昌也(新潮社)

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