2016年2月25日木曜日

パトリック・モディアノ

【嫌なことは後まわし】パトリック・モディアノ(根岸純訳・キノブックス)
【カトリーヌとパパ】パトリック・モディアノ(宇田川悟訳・講談社)
【廃墟に咲く花】パトリック・モディアノ(根岸純訳・キノブックス)
【暗いブティック通り】パトリック・モディアノ(平岡篤頼訳・白水社)
【サーカスが通る】パトリック・モディアノ(石川美子訳・集英社)
【イヴォンヌの香り】パトリック・モディアノ(柴田都志子訳・集英社)

何かのきっかけで、過去の作品が見直されるということはしょっちゅうあることだ。パトリック・モディアノは、何年も前から翻訳されてきたのだが、どうやら人気は今ひとつだったらしい。それが2014年のノーベル文学賞を取ってしまったものだから、再刊が相次いだらしい。
そういう「賞」には、ミーハー的に敏感に反応してしまうのです。というわけで固めて読んでます(まだ途中)。

固めて読むと、その作家の手法というか、バックボーンというか、一つの流れのようなものが見えてくる。
モディアノでいえば、彼の作品の源泉というか底に流れているものは、どうやら戦争中に行方不明になった父親のことらしい。その後、どうやら一緒に暮らしたようだが。父親はユダヤ系フランス人で、戦時中はなにやらトラブルがあったらしい。そういう話が断片として、あるいは通奏低音のようにいつも作品ににじみ出ているような気がする。
父親のいろんなことが明らかでないところからくる「自分は何者?」という考えが、もディアノの作品の底流になっているようだ。
「暗いブティック通り」では、まさに主人公は記憶喪失で、自分が何者であるかわからない。その他の作品でも、主人公はなんだかふわふわとした存在で、その周りで起こる出来事も、確かに現実なのだろうけれど現実らしさが無かったりする。不思議な感覚だ。
そして現実感に乏しい文章なのに、舞台ははっきりとフランス。パリ。その周辺(あるいはスイスの近く)。書かれた文章から想像できる風景はあるのに、なにかぼやけた読後感。まるで印象派の絵画を見ているかのようだ。ああ、フランスか。
はまると楽しいですよ。

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