2017年1月17日火曜日

【いにしえの光】ジョン・バンヴィル(村松潔訳・新潮社)

60代半ばの、ほぼ引退状態にある舞台俳優が、思い出し語りに綴る、少年期の恋。15歳のひと夏、彼は友人の母親と関係を持ってしまうのだった。しかしその一家は秋とともにどこかに去っていったままだった。
時を経て、初の映画出演のオファーを受けた現在の彼は、映画の調査員に、友人の母親を探してほしいと頼むのだった。そして明らかとなる事実。

あらすじだけを書くと、なんともない「若気の至り」「少年期のロマンス」といった感じになってしまう。こういう筋書きは、何度となくお目にかかったよなあと、書きながら思ってしまう。
しかし、この作品のもう一つの面白さは、「間違った記憶」「都合のいい思い出」として語られる物語だ。
主人公の語りは、「確か夏だった。落ち葉を踏みしめて歩いた。ということは秋だったか」という具合に、その記憶は心もとない。それを本人も自覚している。
さらに物語の時系列はあちらへ飛びこちらへ飛び、同じ場面が何度か出てきて、その度に違った情景になっていたりする。
また、本人にとって都合の悪いことは、わざと語られないようだ。娘は精神が不安定だったらしい。パリに留学していたらしいが、なぜかイタリアで自殺をしたようだ。理由は最後までわからない。その影響で、妻も少々心を病んでいる。というようなことは、ちょっとしたほのめかし程度に出てくるだけ。実はそれがこの主人公の心をも蝕んでいるのかもしれないのに。とも読み取れる。

ありきたりのようなロマンス話の裏に、「私たちは自分の記憶を、都合よく書き換えているのですよ」と諭されているようで、ぎくりとする。

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