2014年4月28日月曜日

Kindle WhitePaper 買うてもおた(^^)

ずいぶんのご無沙汰でした。前回書き込みが4月8日ということなので、ほぼ3週間ぶりになりますね。ちょっと忙しくなるとすぐに滞ってしまうのですね。前に「できるだけ毎日書くようにします」なんて書いていたと思うのですが。不言実行の真逆をいっていますね。我ながら情けない。

書きためている(読みためている)本の感想文はあとまわしにして、表題について。
アマゾンで2,000ポイントキャンペーンのようなものをやっていて(らしい。詳しくはぶたこが知っている)、Kindleホワイトペーパーも安くなっているよと教えられ、ではこの際だからと買ってしまったのでした。

届いたのが水曜日だから、もう5日経っていますね。
早速、アマゾンの無料本を購入(こういうのも購入というのか)。ちなみに、ぶたこもすでに何冊か購入していて、同じIDを使うことにしたので、ぶたこが購入した本も読むことができるのですね。
今日までに読んだのは、小栗虫太郎「人外魔境01有尾人」、梶井基次郎「檸檬」「櫻の樹の下には」、森鴎外「舞姫」、折口信夫「死者の書」

実際に使ってみての感想ですが、いやあ快適です。なんといっても「どこでも読める」。周りの環境にあまり左右されないというのがいいですね。普通の本なら、ある程度の明るさが必要で、昼間でも電灯を点けないと読めないことがあるんですけど、Kindleはバックライトなのでその心配は一切なし。明るさの調整もできるようなのですが、わたくしにはデフォルトの状態がちょうどいいですね。
大きさ、重さも、まずまず。というか、これでぴったりという気がします。これより小さいと文字の大きさ(1ページに収まる文字数も含めて)が気になるでしょう。重さは、同じ大きさの単行本より軽いぐらい。

まあ、白黒で、画面の愛想はないとも言えますが、ただ本を読むだけだったらこれくらいスッキリしていたほうがいいですね。余計な機能がない分、使いやすいわかりやすいといこともありますし。

さて、引き続いて無料本を何冊か入れて持ち歩こうと思っています。
あ、一つだけ解決していないことが。。。。

どうやって持ち歩くか。
かばんからサッと出してサッと読む、というのがかっこいい使い方だと思うのですが(かっこよさの問題かい)、普段はバックパックで出かけることが多いのですね。そうするとどこに入れるか、どこに入れれば一番便利がいいか、使いやすいか、というのをちょっと考え中です。今のところ、新品で愛おしいので(^^ゞ、ハダカで持ち歩く気になれず、100円ショップの袋に入れてバックパックに、という風にしています。

2014年4月8日火曜日

【ほどほどにちっちゃい男の子とファクトトラッカーの秘密】ジェイソン・カーター・イートン(小林美幸訳・河出書房新社)

「ちっちゃい男の子」が主人公、ということで児童小説です。というより、ヤングアダルトかな。まあそんなジャンル分けはどっちでもいいことで。
ある町(名前を忘れた。すみません)では、あらゆることを「ファクトトラッカー」つまり「事実を捉える」人が握っている。恐ろしいように思えるけれど、この人はそんなに悪者でもない。ただ「事実」「真実」にこだわりすぎ。そしてありとあらゆる真実を、街の皆さんに提供する。だがあらゆることを街の皆さんが聞いてくるのに閉口して、ついに「自動で真実を答える」装置を発明する。ところがそれを起動しようとした時、嘘ばかりをつく男が現れて、町中を混乱させ、ついにファクトトラッカーも捉えられ、町は嘘ばかりになってしまう。さて、ここに「ほどほどにちっしゃい男の子」登場。彼は自分の「真実」が知りたいのだが、ファクトトラッカーは囚われの身。さあ、男の子は町の危機を救うことができるでしょうか?

あくまでも軽い語り口(翻訳の妙もあるのでしょうが)で、まるでロアルド・ダールのようなファンタジーが繰り広げられます。
もちろん最後はめでたしめでたし、なんですけど、「善」が勝ち「悪」が滅びる、という単純な図式になっていないところが気に入ってます。
かなり教訓的な話だと思うのだけれど(内容も深いし)、教訓臭さがあまりないですね。こういう話が書ける日本人作家はいるでしょうか?

【爪と目】藤野可織(新潮社)

芥川賞を受賞した表題作他の短篇集ですね。
表題作は、どうやらわがままな継母(かなり若いらしい)との幼児体験を語るわたし、というもの。父を実母から引き離し(たぶん)、妻となった後も浮気を繰り返す継母を嫌悪しながら、どこかにシンパシーを感じている、というところが、実際の行動よりも恐ろしい気がしました。そんな読み方をするのはわたくしだけでしょうが。わたくしが男だから、その恐ろしさが際立って見えるのかも。女性が読むと「なんじゃこら」ということになるのかもしれませんね。(ウェブにはかなり辛辣な書評もあります)
で、この作家がなかなかの力量かなと思ったのですが、他の2篇はどうにも普通の小説過ぎて肩透かしを食らった感じ。まあこれから「爪と目」を基板として育っていく、ということなのかもしれませんが。

それにしても、短いですね。本も薄いです。これで1200円もするのかあ、と。

2014年4月6日日曜日

【四畳半神話大系】森見登美彦(太田出版)

いつもどおりの京都の学生話。いつもどおりの奇想天外な展開。しかし私はハマっています。
村上春樹を読んだあとでは、さらに面白さ倍増であります。間違いなく。

鴨川幽水荘(だったかな)で暮らす主人公。いつもどおり、とても情けない学生生活。その一端を、4つの物語で話します。
同じフレーズの繰り返し、同じシチュエーションの、視点が変わっての繰り返しの面白さ。まるで落語のようでもあり、よくできた芝居のようでもあり。それ以上に物語の構成力の高さに驚きますね。

いつもどおりのキャラクターたちの大騒動、なんだけど、楽しませてくれます。

【アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること】ネイサン・イングランダー(小竹由美子訳・新潮社)

3月の読書の総ざらえ。を目論んでいます。

アンネフランクの本がいろいろ傷つけられたという話は悲しかったです。どうやら犯人も捕まったようでひと安心ですが。

ネイサン・イングランダーという人についてはよく知らなかったんですが、題名が面白そうなので読んでみたのです。これは、例の事件が起こる前に借りたのですけど。

題名から想像できるように、著者はユダヤ人で、そのアデンティティについて考えさせられる物語がいくつか連ねられています。
ただ、単純に題名から想像できるような暗い歴史とかいうことだけでなく、時にユーモアもあり、まあもちろん考えさせられることもあり、という内容ですね。

実はもうだいぶ前に読んだので、それくらいの印象しか残っていないのです。
ひとこと言えることは、この作家は多分、自分がユダヤ人であることに誇りとか大切なことという考えはなく、ただそれを受け入れ、さてどうしたものかということを書いているということ、だと思いますね。大した感想じゃなくていけませんね。
やっぱり、読んですぐに感想を書かないと。

2014年4月2日水曜日

【ユリシーズ】ジェイムズ・ジョイス

はい。とうとうというか、やっとというか、ついにというか。読みましたよ。「ユリシーズ」
ぶたこに「どういう話やのん?」と聞かれたけれど、ヒトコトでは説明しにくいです。というか、一言で言うと、
「レオポルド・ブルームというやつが、その友達のスティーブン・ディーダラスと、ダブリンの街を過ごすある一日の話」
ということなんですけどね。
特にこれ、といった事件が起こるわけでもありませんし。

18の章に分かれていて(それぞれなぜか「挿話」と呼ばれる)、それぞれに(文学上の)実験が試みられているのですね。
特に後半になると、物語の中で文体が古いものから順番に新しいものに変わっていくとか、戯曲の形式になるだとか。極めつけは最終挿話(ペネロープ)で、日本語訳では句読点が一切ないのですね。丸谷才一訳の河出書房新社版では、感じもなくすべてがひらがなという徹底ぶり。

あ、そうそう、訳本は、丸谷才一他訳の集英社版と河出書房新社版、それから伊藤整訳の新潮社版と、色々読んでみました。この場面はこっち、この挿話はこっち、とかいうふうにね。読みやすいのを探すつもりでそうしたんですけど、どれも読みやすくはなかったです、結局は。

肝心の話の内容は、面白いんだかどうなんだか、というところです。反宗教的な内容が盛り沢山だし、下ネタも盛りだくさん。英語本文で読んだら、もっと面白いことがわかるんでしょうけど、面白さを理解するためには、半端じゃない英文能力が要るようです。

で、それを(無理矢理に)日本語に訳したわけですから、訳しきれなかったところがあったに違いありません。それは想像するしかないわけですが。

逆を考えて見ればわかりますよね。日本語を英文には、完全には訳せないわけですから。
「その手は桑名の焼き蛤」とか「恐れ入谷の鬼子母神」とかいうのを英語に訳せ、といっても、まあそのまま翻訳することができるでしょうけれど、本来の言い回しの面白さはとても伝わらないわけで。

で、どうやらこの「ユリシーズ」の面白さは、そういう英語表現の面白さにあるらしい、という「らしい」しかわかりませんでした。想像の世界ですね。

これを読んで人生が変わるとか、文学の奥深さを感じるとかいうことは、あるのかなあ。あるとしたら、文学の表現方法の可能性、というところでしょうかねえ。とはいえ、句読点のない文章を改めて書いてみようと思う作家はいないと思いますが。こういうのは「コロンブスの卵」で、最初にやった人が偉いのですね。そして、それに続く人が出てくるかというと、そういうわけにはいかない。発想は面白いけれど、発展性はないかなあ。

それでも「ユリシーズを読んだ!」と、人に自慢はできそうです。それが自慢になるかどうかは別ですが。
そして、これから読もうとする人にアドバイスを送るとしたら?

別にこれを読まなくても、後悔することはないと思うよ、と言いたいですね。

2014年3月30日日曜日

フィギュアスケート

いつの間にか3月も終わり近くになってしまいました。時の経つのは早いものです。なんて、年末のような物言いですが、年度末、ということは事実なので許してもらいましょう。
フィギュアスケートも世界選手権で一段落。入れ替わりにプロ野球のペナントレースも始まって、この週末はやや慌ただしいというか、いつも以上にいろんなことに気が回りません。これも許してもらいましょう。

オリンピックチャンピオンがあまり揃わない、ということでどれくらい盛り上がるかなと思われた世界選手権ですが、いやいや、もう連日涙涙で見ておりました。
(といっても、放送は男子・女子のシングルだけ。それも後半グルームのみ。いつかペアとかダンスも含めて放送してくれるのだろうか。気になる選手の気になる演技もいっぱいあるのだけれど)

町田樹選手。惜しかったなあ。ほんのちょっとの差、ですね。しかし、去年までほぼ無名に近かった(世界で)選手がここまで来たのには感動します。人間、努力次第なのだなと。
アボットのフリーには涙涙。
ベルネルの演技には、ついつい応援してしまう(入り込んでいくわたくし)
羽生結弦選手。痛し痒しというか、嬉し恥ずかしというか。何と言ったかなあ(ボキャブラリのなさに自分ながら驚く)。ともかく、本人も納得がいったのかどうなのか。という金メダルだったのでは。ま、これで、更に次の目標もできたかも。
小塚崇彦選手。ものすごく良かった、けど点数が。。。というのはあるなあ。ただ、自分の目指すべきはどこかというのを見つけたような気もするし。まだ続けてくれそうだから、来季以降に期待しよう。大いに。

女子。浅田真央選手。どうしても回転不足を取られるのだねえ。トリプルアクセル。もう、ええんちゃうのん、と思うけど。ショートでは加点、でもフリーでは回転不足。それでも金メダルはすごいと思うけど。
鈴木選手。ほんまにここまで続けてくれてありがとう、という気持ちです。点数とか順位とかとは関係なく、感動する演技というものがあるのですね。
村上選手。どうも「雑さ」が気になるのですね。特にこれだけきれいな滑りをする人たちの中に入ってしまうと。ジャンプの前の体制とか、つなぎの滑りとかね。まだまだ。
グレイシー・ゴールドは、間違いなくこれから世界のトップを争っていくでしょうね。ひょっとしたらコストナーの跡を継げるかも、というくらい綺麗に滑れると思うのですが、どうでしょう。それも、ここ1年ぐらいでグッと伸びた、という印象があるので余計にそう思うのですが。
そのコストナー。フリーで少々ミスをしても高得点。いや、滑り出しの1回のターンだけで思わず「ひえ~~っ」と声を上げてしまいましたよ、確かに。深い深いエッジを使ったステップは、世界最高。ここまで出来る人は他にはいない。

日本の観客は素晴らしいですね。どこかの五輪とは全く違って、自国の連呼もなく、素晴らしい演技には隔たりなくスタンディング・オベーション。ジャンプに失敗しても、拍手で応援。ステップでは(難しいリズムでも)手拍子で応援。観客にも拍手したいです。

唯一、どうにもつまらないのがテレビ中継陣。特に女子の実況は(何度も言うけど)なんとかしてほしい。演技中は、いっそ無言でいてほしいくらいなのに。あと、最後の最後の、浅田真央選手へのインタビューも、どうだったのか。終わったばかりの選手に、今後はどうするのかとしつこく聞いてどうするの? 優勝の余韻も吹き飛んでしまう。インタビュアーの責任じゃなく、TV局の方針・体質なのだろうけれど。

2014年3月21日金曜日

【インスタントラーメン】おいしい召し上がり方?

「火を止めるまぎわに」とか「すばやく丼に移して」など、なかなかやっかいです。


2014年3月19日水曜日

【色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年】村上春樹(文藝春秋)

この月は前月にひき続いて、あまり読書が進んでいません。あれをちょっとこれをちょっと、といろんな本に興味が惹かれて、途中まで読んでほったらかしという本が少なくありません。ちょっとでも「読了!」というところまで行かないと。

でもね。つまらない本だったら(それが途中でも、つまらなかったら)最後まで読む必要もないのだという思いもあるのですね。つまらない本を読む時間があったら、面白い本を読みたい。こんなしょうもない話を最後まで読んでどうなるんだ、という気もするわけ。でも最後まで読まないと、本当につまらないかどうかもわからないしなあ。。。などとも思うわけです。

サマセット・モームは、「読書案内」のなかで、「つまらないところは飛ばして読めばよいのである」と書いています。しかし「サミング・アップ」では、「わたしは本を飛ばし飛ばしに読むということも、途中で読むのを終わることもできない」とも告白しています。おそらく両方の気持ちがあったのでしょうね。その気持、わかりますね。

で、村上春樹ですが。出版された時は即ベストセラー。内容よりも「村上春樹が書いた」ということだけで売れるのですね。きっと。それが悪いとは言いませんよ。ある程度の面白さ楽しさは約束されているのだろうと期待する人の気持ちはわかります。

で、実際に読んでみるとね。これが、ちょっと面白くないのですね。
いや、個人的な感想なので許してほしいのですが。文章の表現がどうも馴染めない。まるで下手な英文翻訳を読んでいるような気分になってきます。それが地の文だけでなく、会話文にも及んでいるので大変始末に悪いです。
おかげで物語全体の現実感が薄れてしまっています。

題名だけ見ると、色覚障害を持つ主人公が出てくるのかと思いますが、そうではありません。つくるくん以外の人は、なぜか名前に色が付いているのですね。赤松だとか青海だとか。で、自分だけ名前に色がない。
高校時代のボランティア仲間4人とも名前色が付いている。まあそれはそれとして。高校を卒業してつくるだけが東京の大学に行く(ほかは地元:名古屋に残る)。あるとき他の4人から突然絶縁されてしまうのですね。そしてつくるは死ぬことだけを考え始めます。

なぜ4人は突然つくるをつまはじきにしたのか。つくるはどうやって死の誘惑を乗り越えるのか、とかが物語の中心になってそうなんですけど。

ううむ。やはり文章の堅苦しさというか、難しさが面白さを阻害しているような気がしてなりません。これ、本人は意識して書いているのだろうか。言葉のありようをどれほど考えているのかなあ。
多和田葉子を読んだあとなので、余計にそんなことを考えてしまいました。

【50歳からラクになる-人生の断捨離】やましたひでこ(祥伝社)

「断捨離」という言葉がひとり歩きしている、ということを著者が嘆いている、と前に書きました。ただの整理術として捉えられているけれど、本当は生き方の指針なのだと。
なるほど。ならば、この本が出てきてもおかしくないわけですね。

有名になった「断捨離」に比べると、実際的な方法というよりも、もっと精神面を強調していますね。
しかしその割には、前作(前作ではないのだけれど)でやや強調されていた、
「断捨離すると、自立できる」とか「断捨離すると、痩せられる」とか「断捨離すると、離婚できる(^。^;)」
とかいう話は、ちょっと引っ込んでます。
それよりも、「あなた、これからどう生きますか」と聞かれているみたい。
だから、「50代こそ断捨離に踏み切れる時!」と言えるんでしょうね。

まあ、こんな本が必要ない人生もありだと思いますけどね。
ただ、ミニマリストという生き方もあるようなので、個人的には気になるところです。
そして、ちょっとだけ、無駄のない人生を生きようかな、と思い始めています。もう50も越えてだいぶ時間が経ってしまっていますが。

2014年3月11日火曜日

【ホテルローヤル】桜木紫乃(集英社)

今年も3月11日がやってきますね。テレビを始めとするメディアが、ほうぼうで取り上げるので、わたくしごときが何かを言うことではありません。

桜木紫乃の直木賞受賞作。北海道釧路のラブホテルを舞台とした物語。連作短編集といったものなのだけれど、時間軸が逆になっているのがミソ。廃墟となったラブホテルで恋人のヌード写真を撮ることで自分を取り戻そうとする男の話に始まり(いや、視点はモデルとなる恋人の方なんだけど。そしてなんだかこの男、大丈夫かと思ってしまう)、ホテルを建てることに意欲を燃やす男の話で終わる(だったと思う)。

それぞれの物語が、一貫性があるようで味わいが違うのも面白いです。ちょっと薄味かなあという気もしますけどね。

2014年3月8日土曜日

新書3題

佐村河内氏の記者会見は、ウソをついたことを前提としたものだから、そこから先の言い訳じみた話は全く信用ならないものだと思いました。キダ・タロー氏が、佐村河内氏が「詳細な設計図を書いた」ということについて、
「例えばコマーシャルの音楽などで、ネズミが出てきた:5秒、猫が出てきた:10秒という指示があるのと大差ない。その指示で音楽を作っても、作曲者は私です。自分が作曲したという監督は一人もいない」
さらに、
「「音にした」という言い方は、失礼な言い方。音楽のことを何もわかっていない」
「ペテン師と優秀な作曲家がグルになったらこうなるということ」
はっきりとした説明がわかりやすい。

時々、小説のファンタジーな世界じゃなくて、現実を捉えたくて新書を読むときはあります。
【「私はうつ」と言いたがる人たち】香山リカ(PHP新書)
【言葉と歩く日記】多和田葉子(岩波新書)
【知の逆転】吉成真由美・編(NHK出版新書)
あ、でも2冊めは小説(文学)についての話だなあ。

香山リカによると、どうやらわたくしはうつではないようです。憂鬱な気分になるのは誰しもあること。それと、だれでも鬱病にはなるということ。
うつに対する理解が広がるとともに、誤解も広がっているようです。確かにわたくしも誤解していたところがありますね。「こんな人が鬱になりやすい」とかいうことはなく、誰しもなる可能性があるということですね。そして社会がうつに理解を持ち始めて、逆にそれに甘えてしまう事例もあるのだとか。
なんにせよ、専門家でも苦慮している病気の判断と対応を、素人があれこれ判断するのはよくない、ということでしょうね。どの病気でも同じですが。

多和田葉子は、以前にも書いたように、早くノーベル文学賞をとってスッキリしてもらいたい作家です。ウェブの書評では、ただバイリンガルをいきがっている小説家という書き込みもありましたが、そうは思いませんね。日本語とドイツ語、あるいは多言語について、その表現の違いについて、そしてそこから導き出される文化の違いについて、とても深い考えと興味を持っているのだと思います。
これは日記の体裁をとったエッセイというべきものなんですけど、上に書いたようなことをテーマに書こうとすると逆に言葉に詰まってしまう、というところから、日記のようにして気がついたことだけを書いていく、というスタイルになったようです。それでも「気がついたこと」の気のつき方がとても面白いので、言葉についてのとても面白いエッセイになっていますね。繰り返し読んでみたい、と思いました。

「知の逆転」は、NHKで放送もしていました。映像を見た人には新しいものはないかもしれませんね。それに映像だと文字では伝わらないことも伝わりますし。逆に文字になると、時間軸で流れていく映像とは違って、反芻(読み直し)することができますね。どちらにも価値はあるでしょう。
本の内容から外れました。現代という時代の最先端を歩んでいる知識人に、現代社会のあり方を問う、というスタンスなのでしょうが。6人の「知の天才」に話を聞いています。
『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド、生成文法理論で言語学・哲学にパラダイムシフトを起こしたノーム・チョムスキー、映画にもなった『レナードの朝』の著者・神経学者のオリバー・サックス、人工知能の父と称されるマービン・ミンスキー、アカマイ創業者・数学者のトム・レイトン、そしてDNAの二重らせん構造を明らかにしたノーベル賞受賞者のジェームズ・ワトソン。
(すみません、めんどくさいのでアマゾンからコピーしました)
それぞれ面白い話ばっかりだったんですけど。同じテーマで話を聞いているわけではないので、たとえばトム・レイトンの話などはアカマイの業績秘話以上のものはちょっとしかないという感じになったりしています。
もちろん、こういう人たちの成し遂げたことは素晴らしいことだし、その語る言葉から何かを得ようと思えば、たくさんのものが得られると思いますけどね。

2014年3月5日水曜日

【不要家族】土屋賢二(文春文庫)

落ち込んだ時ややるせない時、不満がたまった時には土屋教授(いまは名誉教授らしい)です。不満があっても大丈夫。だからどうした。それがどうした。どうしたって変わらないよ、という諦観もあるようで、だから力を抜いていこうということ。こんな自分でいいのかなあと思った時に読むと、こんな自分でいいのだと思うし、こんな自分でも大丈夫なのだなと思うのだな。楽しいです。
まあ、ワンパターンである、とも言えますが。

2014年3月4日火曜日

【ビブリア古書堂の事件手帖5-栞子さんと繋がりの時】三上延(メディアワークス文庫)

気がつけばもう3月。月日の経つのは早いものだ。特に2月の終わり頃はオリンピックオリンピックで夜も寝られず昼もぼおっとした毎日だったので、ただでさえ短い月がいつも以上に短く感じられた。本当に、あっという間の出来事。夢の中の夢の様な時間でした。

「ビブリア古書堂」シリーズも5巻目。前巻は江戸川乱歩特集でしたが、今回はもっとマニアックになっています。とはいえ、「へえ~」と思うポイントが、マニアックというよりオタクに近くなってきているようで、いよいよネタが尽きてきたのかなと思わせるところもありますね(正直言って、手塚治虫まで出てくるとは、と思いました)。ぼちぼちラストが見えてきたのかも。それは店員(であり物語の語り手でもある)五浦と栞子さんとの関係にも表れてきていますね。詳しくは本編をどうそ。

それから。物語のサスペンス調というか、トリックというか、そういうミステリーな部分が、ややぬるくなってきているようにも思えます。これは主人公二人の行動に焦点が移ってきているのでそう感じるだけかもしれないですが。二重三重のどんでん返しのようなものがちょっとぬるくなってきているような。いや、面白いのは面白いんですけどね。それと、ここまで来たらラストまで読んでしまいたいという思いもありますし。

2014年2月25日火曜日

【ユリシーズ(1~3)(4~6)(12キュクロープス挿話)】ジェイムズ・ジョイス(柳瀬尚紀訳・河出書房新社)

今年の目標(読書)は、ユリシーズを読むことと、プルーストを読むことです。1年の間にこの2作品を読破できれば、いうことはないですね。どう言うことがないのかは微妙なところですが、ともかくも「みんな知ってるけれど読みこなすのは難しい難解な作品」で、「20世紀に生まれた最高傑作」で、ということになると、ともかく読み終えたら何かが見えるのではないかという期待が大きいです。期待しすぎるのも良くないでしょうが。
さて、「ユリシーズ」はどういう話かというと、一言ではうまく言えません。おそらく百言を尽くしても言えないでしょう。この無知なる一読者では。話の概要は、ダブリンでのある一日を、スティーブン・ディーダラスという人と、レオポルド・ブルームという人を中心に、事細かに描いて、しかも文体としては英語の持つ可能性をとことん追求して書かれている、ということぐらいしかわかりません。有名なのは最終章の「ペネローペ」で、翻訳されたものは数十ページにわたって句読点がひとつもない文章になっているということですね。それってでも、本編の内容とは関係無いですな。ともかくそういう文体を駆使して「意識の流れ」の手法を追求したエポックメイキングな作品、という触れ込みになっています。
ここまで書いてきて、さて何が言いたいのかはよくわからないでしょう。わたくしにもよく分かりません。ともかく「読んでみなければわからない」ということですね。はい。

翻訳は何種類かされていて、有名なのは丸谷才一氏が中心となった訳ですね。こちらも平行して読んでみました。というか、今読んでいる途中ですね。やたらと注釈が多い翻訳で、それもしかたがないと思わせるほど、文章が込み入っているんですね。ある一つの文が何かを象徴していたり、掛詞だったり言葉遊びだったり、突然語り手が変わったりだとか。
で、柳瀬尚紀氏訳は、注釈が一切ありません。それどころか、まえがきもあとがきもなく、本のカバーにちょっとだけ今までの翻訳とどう違うかということが触れてあるだけ。あとは翻訳で楽しんでもらいましょう、という意気込みが感じられます。そしてある程度、成功しているといえるんでしょうね。まあ、原文がどんなのだかわかないから、無責任に褒めるのもどうかと思いますが。

そして、柳瀬尚紀訳の方は、「ユリシーズ」のうちの一部分しか翻訳・出版されていないのですね。前半の6章と、何故か途中の12章のみ(18章まである。翻訳された部分はとても短い)。
で、この(全部合わせて)7章を読んだだけで、どうなのかというと、まあよく分かりません。そこで丸谷才一訳も並行して読もうとしたのですが、これもまたよく分かりません。朝、ディーダラス氏が起きました。ブルーム氏も出かけました。友達の葬儀に。そして酒場に行きました。途中でいろんな人に会いました。色んな話をしました。はい、おしまい。そんな感じです。
読みようによっては、その場に居るような気分になるのでしょうね。それが「意識の流れ」のキモではないかと、勝手に思っているのですが。なんともへんてこりんな読み物を書いたものです。この発想が突き抜けていますね、どこか。

ともかくも、この断章だけでは物語の一旦というか、作品のほんの一部分にしか触れられないので、全体を読んでみたいと思っています。丸谷才一ほか訳(集英社版)は、ようやく14挿話まで読んだところ。ちょっと一休みします。いや、本当はだらだらとしかし一気に読むのがいいのかもしれませんね。なにしろこの長編は1日分のことしか書いてないんですから。

2014年2月23日日曜日

【とっぴんぱらりの風太郎】万城目学(文藝春秋)

連日のオリンピックに熱狂したりがっかりしたり勇気づけられたりと忙しい毎日です。
そんな時に限ってパソコンが不調。もう何回目かの「ユーザープロファイルの読み込みに失敗しました」メッセージが出てログインできず。毎回やり方をいろいろ考えて(ウェブで検索などして)再ログインを試みているのですが、今回の方法は、ログイン出来ないプロファイルを削除して再ログインするというもの。再ログインの際に新たにプロファイルが作成されるので、これで無事ログインできますということです。
で、そうしてみました。
すると。再ログインに成功。ただし、以前のプロファイルは削除されてしまっているので、ほぼ一からパソコンの設定をしなければなりません。で、普通に保存していたファイルなどもほぼ全く削除されてしまっていたのでした。場所はユーザーフォルダ。プロファイルを削除する過程で、ユーザーフォルダそのものも削除されていたのでした。でも大事なファイルは保存していないはず。と思ったら、読書データがそこに入っていたのですね。でもドロップボックスフォルダに入っていたはずだから、ウェブ上に同期ファイルがあるはず。で、ドロップボックスを起動してファイルをダウンロードしました。
って、最後の同期が1月半ばなのでした。つまり1月中旬からのファイル更新がされていないのでありました。とほほ。
そんなわけで、読書データをこのブログから再構成。ウェブ上のストレージというのは大事やなあと思ったのでした。

【とっぴんぱらりの風太郎】万城目学(文藝春秋)
直木賞候補になりましたかね。大して術のうまくない伊賀の忍者風太郎が、江戸時代はじめの京都、大阪でいろんな人(じゃないもののけとかも)に振り回されるという話。伝説の忍者「果心居士」の片割れと名乗る「因心居士」というひょうたんのもののけに、うっかりと頼りにされてしまう風太郎。かつての忍者仲間たちと謎の「ひさご様」を守ることになる。そして大阪冬の陣、夏の陣が巻き起こり、否応なくその渦中に巻き込まれることに。
ちょっと情けないキャラの主人公が、周りの人たち(とかもののけとか)の力を借りて(あるいは運良く)目的を果たすために活躍する、というパターンはいつもどおりかなあという気もします。もちろん物語の構成としては鉄板なので申し分ないのですが。とにかく長い長い。いろんなシーンは読み応え十分なのでこの長さも納得するにはするんですけど。最終章の戦闘シーンは、ちょっと疲れてしまいました。最後の最後で「これでもか」という仕掛けがいっぱいありすぎてね。
それにしても、大阪城が好きそうですねえ、万城目さん。ここから「プリンセス・トヨトミ」につながっていくのかな。取っ掛かりがどんなだったか忘れてしまったので、なんとも言えないのですが。

2014年2月19日水曜日

【聖なる怠け者の冒険)森見登美彦(朝日新聞出版)

オリンピックにかまけてしまって、というか、時間の使い方がどうしてもオリンピック中心になってしまっているのである。TVをつけるといつもオリンピックオリンピックなのだから仕方がないといえば仕方がないのだが。
それにしても、ニュースの中心がオリンピックで、それに時間を使うものだから、雪のニュースとかバリ島の遭難のニュースだとかが後回しになっているような気がする。まあどのニュースに重きをおくかというのは好き好きなのだろうけれど。今も雪の中で孤立している人がいるかもしれない。そんなことをちょっと考えてしまうのである。

森見登美彦は面白い。舞台はいつも(ほぼ)京都。そしてこの京都という街の持つ不思議な感覚をどこまでも作品の中に取り込んでいる。自らは「妄想作家」と呼んでいるそうだが、妄想がここまで来ると気持ちがいい。ハマってしまうと抜けられない。はい、はまっています、わたくし。
今回の話は京都の街に出没する「ぽんぽこ仮面」、怠けることにかけては人に負けない小和田くん。道に迷うことが得意な(?)週末アルバイト探偵の玉川さん。何をしているかよくわからない五代目。そんな人達が祇園祭の宵山を巡って交錯する世界。
もう何がなんだかよくわかりません。SFと言われればSF。ファンタジーと言われればファンタジー。ユーモア小説と言われればユーモア小説。ともかく「意外な展開」と一言で済ますのはもったいないくらいの幻想妄想のてんこ盛りです。
朝日新聞に連載していたものを、一から書き直したという根性にも脱帽です。もうこの作家から目が離せませんな。

2014年2月17日月曜日

【メジャーリーガーの女房】田口恵美子(マイコミ新書)

連日、ソチオリンピックで寝不足です。というほど実は寝不足にはなっていないのですが、なんとなく毎日フワフワとした気分なんですね。もちろん日本代表勢がメダルをとってくれているおかげです。みんな頑張ってます。
その上、ここのところ不安定な天気も続いています。なんだか世界がおかしくなっているんじゃないかと勝手に思ったりして。まあ、こんな時もあるんでしょうけど。

【メジャーリーガーの女房】田口恵美子(マイコミ新書)
昨年現役を引退した田口壮の奥さんのエッセイです。元アナウンサー。メジャーリーガーの暮らしぶり、マイナーに落ちた時の扱いの違いとか、あまりスポーツニュースにはなりにくい奥様たちの交流や生活ぶりなどについて、赤裸々と言っていいほど書いてくれています。お世話になった人への思い、だけじゃなくて、嫌な思い出も隠さずに。いやあおもしろい。
内容もさることながら、その文章力にも驚きます。読ませる文章を書きますねえ。これからももっともっといろんなところで活躍してほしいなあ。

2014年2月8日土曜日

【ホモ・ファーベル】マックス・フリッシュ(中野孝次訳・白水社)

外は雪です。20年に一度の雪になりそうだということですね。かなわんなあ。こういう時は外には一歩も出ずに家で読書、といきたいのですが、そういうわけにもいかないようで(詳細は伏せておきましょう)。

白水社が出版していた「新しい世界の文学」のシリーズの一冊。
「新しい」といっても、このシリーズが出版されたのは60年代ですから、その時点での「新しい」ということですね。もちろん、今でも新しさを感じさせる作品もたくさんあるわけです。(ちなみに、このシリーズの一冊にサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」もあったのですね。)

さて、この一冊。マックス・フリッシュはスイスを代表する作家。物語は主人公のファーベル氏の独白というようなもの。思いつくままに、といったふうに主人公の物語が続く。大した事件は起こらないのかなと読み進めていると、かつての恋人ハンナとの思い出となり(第二次大戦前で、ユダヤ系のハンナと結婚しようとしてできなかった)、そしてその後に出会ったエリザベートという娘との恋となり、実はそのエリザベートは。。。というところから、サスペンスなタッチにもなってくるのですね。そして悲劇。その前後の時間の感覚があれれれれ、となるその雰囲気がいいです。ただ、この主人公の生き方には共感できませんけどね。

2014年2月1日土曜日

【孤島】ジャン・グルニエ(井上究一郎訳・筑摩書房)

ジャン・グルニエというのはフランスの哲学者、作家で、カミュの先生らしいです。
「孤島」は、小説のようなエッセイのような独白のような、なんと言っていいかよくわからない作品群でした。人生とは、ということをちょっとのんびり考えているような。
「孤島」を「孤独」と読み変えても。。。と思いましたが、そういうことは考えないほうがいいのかな。
中で「猫のムールー」の話がなかなかいいです。内容もこの本の中では易しい。猫のことを書いて、これだけ静かな話はちょっとないかもしれません。感情移入し過ぎることなく、淡々とその生を(そして死を)見つめています。