2016年4月5日火曜日

3月の読書

【オラクル・ナイト】ポール・オースター(柴田元幸訳・新潮文庫)

【手のひらの京(みやこ)】綿矢りさ(新潮2016年1月号)

【明日は遠すぎて】チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(くぼたのぞみ訳・河出書房新社)

【モナドの領域】筒井康隆(新潮2015年10月号)

【なりたい】畠中恵(新潮社)

【俺、南進して】町田康・荒木経惟(角川文庫)
【テースト・オブ・苦虫6・おっさんは世界の奴隷か】町田康(中央公論新社)
【浄土】町田康(講談社文庫)
【テースト・オブ・苦虫7・自分を憐れむ歌】町田康(中央公論新社)
【東京飄然】町田康(中公文庫)
【どつぼ超然】町田康(毎日新聞社)
【猫とあほんだら】町田康(講談社)
【バイ貝】町田康(双葉社)

プロ野球が開幕し、世界フィギュアもあって、あれよあれよというまに3月は終わりを告げたのでした。
その間、読書日記はあっちに置かれたままでした。やれやれ。

「読書は楽しみのためにするのである」と言ったのはサマセット・モームでした。もちろん、人生を豊かにする、問題意識を喚起させる、生き方を考えるヒントを貰う、などという効用もあるでしょうが、それもこれも、人生を豊かにすることが楽しいから、社会に関心をもつと賢くなったような気がして楽しいから、生き方を考えなおしたらなにか楽しいことが起こりそうだから、という具合に結局は「楽しみ」のためにやっているはずなのです。
(一部には「生活の糧のために」という方もおらっしゃるでしょうが)

それぞれ、思い出せることから。

ポール・オースターは久しぶりに読んだなあ。こんなんだったか。人生、悲劇はつきものなのだ。終盤になって、なんやエンディングがだらだらしとんなあと思っていたら、いきなりの展開。どどーんとショックを受けました。

綿矢りさの魅力は、ありがちなテーマと物語の展開やなあと思っていたら、いきなりバックドロップを食らわされるというマゾ的な快楽にあると思っています。でも、決め技を何度も繰り出してこられると、ちと困りますね。そういう意味では長編に向かない作家のような気がします。というのは読者の勝手な思い込みなんだけど。京都を舞台にした、ちょっと「細雪」的な物語。もちろん、バックドロップに空手チョップなどが満載です。

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェは2冊め。今回は短編集。これは全くの先入観なんだけど、ナイジェリアの作家という感じがしないですね。この人の持つ問題意識、社会を見る目は、普遍的なものなのだということを感じ取れます。つまりは、世界が持っている問題なのだと。すばらしい。

筒井康隆の「おそらく最後の長編」らしいです。猟奇的殺人事件が起こったと思ったら、全く関係のなさそうなSF的な展開となり、やがてひとつの結末へとまとまっていく手腕には舌を巻きますね。小説内小説というか、読者と作者をも作品世界へ引きこもうという作品。おそらく今、少なくとも日本において、最も頭のいい作家なのではないでしょうか。誰も真似ができないですね。しなくてもいいし。

畠中恵の「しゃばけ」シリーズ最新刊は、相変わらずの快作。ただ、今までの妖キャラクターが多すぎて、処理しきれなくなってきているような気もします。あるいはそれぞれのキャラクターによりかかりすぎているのか。ともかくも、このまま突っ走るわけにも行かないと思うのですが、しゃばけファンはどう思っているのでしょう。で、それにどう答えていくのでしょうね。

と、ようやく町田康シリーズ。多すぎてどれがどれやらという感じですが、多くはエッセイです。エッセイでないものも、作風は同じなので、どれを読んでもハズレがない。裏返せば、どれも同じ味わいで、苦手やなと思ったらやめておいたほうがよろしい。でもわたくしは好きですけどね。
パンク歌手にして奔放な文章。小説内に「あかんではないか」という作者の感想を差し挟むこともしばしば。
しかしよく読むと、その視点はとんがっているようで、とても明晰に分析されていて、冷静で常識的(嫌な言葉だけれど)で、とんがっているのは生来の正義感の裏返しなのですね。きっと。
だから、一見過激とも思える文章でも、その裏には「こんなこともありますねん、許してあげましょう」という優しさや「こんなことになったのには、こんな理由がありますねん、おたくさんにもありまっしゃろ、こんなこと」という包容力に満ちているのである。だからたて続けに読んでも、嫌な気分にはならないのですね。そして「ああ、正しく生きていこう。変な目で見られるやろうけど」という気にもさせてくれるのです。そんなのはわたくしだけ?

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