2015年4月25日土曜日

【アニバーサリー】窪美澄(新潮社)

窪美澄の文章は、ときどき「?」と思うこともあるのです。すんなり入ってくる文章ではない時があったりするのですね。でもまあ、最近の作家は時々そんなことがあるというのは織り込み済みなのですけれど。それでもやっぱりときどき「?」で、文章の流れが止まってしまう。それってかなり残念なことだと思うのです。すすすっと読み進めてしまう、文章の「うまい」人っていうのは、それだけでもすごいなあと思うのは確かですね。
でも、音楽でも、例えばピアノでミスタッチがあったり、歌で歌詞の間違いや声のひっくり返りがあったりしても、内容そのもので勝負して、実際に感動することは多くあることなので、「これで文章そのものもよかったら最高なのになあ」というのは高望みなのかもしれませんが。

3・11以降に書かれた物語、ということでその場面も重要なファクターではあるのですが、物語の本質は、人と人との絆とはなんだろう、ということですね。
戦争体験を経て、主婦でありながら水泳のインストラクターを長年続けてきた、つまり「働くお母さん」のはしりのような晶子と、料理研究家を母親にもつ、しかし母の手料理には満足したことがない(作り置きばかりを食べさせられる)真菜。マタニティスイミング教室に通ってきていた真菜を、少しだけ気にかけていた晶子。地震が起きて帰れなくなった時、思い切ってそのマンションを訪ねます。ひとり暮らしの真菜のマンションで一夜を過ごした後、二人の新しい付き合いが始まります。

親子だとか友人だとか。ありきたりの「~なんだから」という関係というものの危うさをずばりと描いていて面白いです。そして新しく築かれる「絆」も、本当はどうなんだ? と、全肯定ではないところがいいですね。
そこに希望が全くないわけじゃないけれど、希望に満ちているわけでもない。つまりは普通、ということなのかな。普通ばんざい。

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